お絵描きホーホー論

理屈で絵が描ける事を証明する

お絵描きのメカニズム 第3巻 〜知識のカテゴライズ〜

お絵描きのメカニズム全体の目次(前回から引用)

お絵描きのメカニズムver1.09

お絵描きのメカニズムの第三弾になります。記事を描くのに半年単位のスパンを空けてしまってるのでかなり考え方が変わってきてはいますが、ある程度は一貫性を保っていると思います。ただ、今回の文章化のための勉強で大きく改善すべき点が見つかったので、部分的にフローチャートの順序の入れ替えが必要な工程が発生しています。とはいえ、最も文章化したかった知識体系のカテゴライズについてある程度理論化できました。この記事で何を言っているのか分からないという場合でも、ぜひ「理解と記憶」のカテゴリーだけでも読んでみてください。

実際のところ、今回の記事の内容は日々Twitterの方で行なっている考察ツイートに比べて古い情報で書いています。Twitterの方では既に「構図」を踏まえた作画手順について触れていますが、ここではあくまで被写体をデッサンすることのみに重点を置き、構図に関わるのはせいぜい被写体を透視図法に則って画面内を移動させるくらいです。ですが絵を描くときに最も難しいのは、決められた構図を崩さない様に画角やアングルを。。。とにかくこの記事は半分覚書き的な書き方なので、不完全であることに注意しながら読むようにしてください。ぶっちゃけていうと、この記事は過去の自分が今の自分に残した覚書です。

第1節 プリセット・原理スロット

自分の脳を拡張可能にする

これまでに論じてきた「転写」でも「真似」でもない方法で絵を描くには自身が持っている知識からアウトプットする他ありません。では自分が持っている知識がどれくらいあるかと言われると把握し切れていないのが現状だと思います。まずはどういった機能や用途のある知識をどれだけ持っているのかを一覧して整理し、いつでも引き出せるように内容と保管場所を把握するための環境を作ります。そこで、それらの知識を「原理スロット」と「プリセット」という形で管理する方法を提案します。

スロット」とは、PC用語で言うところの機能を拡張するための空きスペースを指す言葉で、PCの基盤パーツや処理速度を向上させるメモリを増設するための差し込み口などをそう呼びます。そして原理とは、物事の根本的な法則のことで、ここではお絵描きに関する手法や理論を最小単位まで分解した状態という意味で扱っています。また、プリセットとは、前もって調整するという意味があります。つまり、原理スロット絵を描くための知識の種類や保管場所を予め決めておき、そのとき必要な知識を思考に抜き差しする管理方法のことで、プリセットいくつかの原理スロットを組み合わせて高度な処理を実行するための管理方法です。スロットやプリセットというネーミングから分かると思いますが、思考体系をソフトウェアやハードウェアに見立てています。とりあえず下図ではカートリッジ式時代のゲームハードに喩えてみました。

原理スロット

 ちなみに、人間は思考中に焦点を当てられる対象はたった一つと言われています。思考とはその瞬間に認識しているものに対してしか行えず、PCのようにバックグラウンドで処理などということはできません。そういう意味ではゲームカートリッジは1つずつしか読み込めない構造なところが似ているといったところです。そうするとプリセットは、複数の原理スロットを同時に実行するものではなく、複数の原理スロットを順番に実行するものと考えます。つまり必然的に、ある目的を達成するために組み上げられた作業の「手順」ということになります。これに対する原理スロットは絵を描くための「理論」ということになります。お絵描きに必要なのは、絵を描くための理論とそれを適用する手順のみで、それを満たす要素として原理スロットとプリセットです。

そして、全ての原理スロットを単体で使うことに熟練すると無意識にお決まりの原理の適用パターンが構築されますが、その適用パターンを意図的に構築したものがプリセットです。ただし、プリセットを使って絵を描くことと、原理スロット単体を一つ一つ適用しながら絵を描くことは手間もクオリティも同じで、強いて言うなら想起や発想の手間が省けるというだけです。プリセットを考案するメリットは、思考エネルギーの削減と、自分のノウハウをパッケージングして人に伝えられることです。(下図にある「ユアッサーの法則」はすでにverアップを重ねており、この図の表記は古いものとなることに注意してください)

プリセット

記号化するだけなら分析サイクル、さらに記銘すれば上達サイクル

この原理スロットやプリセットの工程でやることとは、記号化の工程で実用性が実証された記号を、今度は原理的に最小単位まで分解し、必要なら特定の機能を持つ組み合わせを作って名前を付けることです。これは記憶のメカニズムにおいて記憶の第一段階といわれる「記銘」という作業とほぼ同じです。「記銘」の本来の意味では何かしらの現象を認識したときの感覚を脳で覚えるために言語化することですが、お絵描きのメカニズムでは、記号化手本を分析してパターンを見出す工程原理スロット・プリセット覚えた記号を分解もしくは組み合わせて名称を与えることで想起を効率化する工程、つまり、記銘見出したパターンに名称を与えて最適化された知識を製造する行為と定めています。

例えば原理スロットを挙げてみると、「S字カーブ」「正中線」「8頭身」などは人物デッサンに関する原理スロットで、「画角」「視円錐」「M点法」などは透視図法に関する原理スロットです。いくつか挙げた例から分かるように、原理スロットは抜き差し可能なカートリッジの様な項目で構成されています。必要なときに一時的に読み込むことで機能するというものです。こういった様々な原理をある目的に備えてパッケージングするとプリセットになりますが、例えば「素体」「ネガティブスペース」「ウィトルウィウス的人体図」などは人物デッサンに関するプリセット、「ユアッサーの法則」「空間ビート」「一筆描きパース理論」などは透視図法に関する一連の手順を特定の目的にフォーカスし組み上げたプリセットとなります。前述のように、プリセットはいくつかの手順(原理)をひとつにまとめ上げた(プリセット)ものです。思考過程をパッケージ化して思考を省略するとも言えますが、それ故に他人のノウハウ(プリセット)はブラックボックスになりやすいわけです。ノウハウは理論化されていないため、それを目撃した人しか理解できません。

他人のノウハウを学ぶことは英文の翻訳と同じ

自分の持っている知識を原理スロットとして管理することで、現在どれだけの原理を理解しているか、新しく発見した記号を実用的な知識として格納できたか、それぞれの原理の相違点は何か、という知識体系を漠然としたイメージではなく明確な体系図として認識できるようになります。重要なのは、他人のノウハウを分析するために最小単位まで分解したとき、根本の原理を自分の言葉で定義すること、または既に定義されている原理と機能が一致したものを統合することによって全てを自分言語に翻訳することです。そしてそれらを組み上げることで「他人言語のノウハウ」を「自分言語のプリセット」に変換し、それによりいわゆる絵柄のコピーが可能となります。自分の知識の管理、他人のノウハウの翻訳(解釈ともいう)、この2つを確実に処理することでお絵描きの技法を習得するための思考体系が完成します。もっと簡単な言い方をするなら、根本原理まで分解して原理スロットに格納することは「理解する」「覚える」と同義で、原理を組み合わせてプリセット化することは「会得する」「編み出す」と同義である言ったところです。前回の記事で述べた3つの想起の仕方でいうと、原理スロットの知識は「再認」「再生」するのに有効で、プリセットの知識は「再構成」するのに有効となります。

ちなみに、お絵描きのメカニズムver2.0からは原理スロットとプリセットを何か別の名称に変更していると思います。元々ver1.0では概念的ではなく現象としてイメージしてもらうことが目的でしたので。スーファミのソフトを順番にプレイしていくとイメージした方が、理論を適用していく手順と言われるより分かりやすいはずです。同時にプレイできるソフトは1つまでですのでそんなに難しくないことがわかります。どんなに複雑な作品でも混乱せずに所有しているゲームタイトル(原理)を順番にプレイしていく(手順)だけです。

第2節 カテゴライズ・検索システム

カテゴライズで想起の効率化を支える知識体系を構築

原理スロットやプリセットを使用するには、瞬時に思い浮かべられるスムーズな思考経路が必須です。また、新しく学び取った記号を覚えるときも正しい位置(分類)に格納(記憶)しないと、後からその記号が何だったかを思い出すときに他の記憶と混同してしまい、そしていずれ忘れ去られます。先ほど述べた「記銘」で名称を与える作業は、言語による意味の付与によって記憶を定着させる他、キーワード検索によってピンポイントに原理スロットやプリセットを想起し、それによって印象抽出したシルエットに言語操作(意図的な情報付加)を行うことが目的です。ちなみに、上達サイクルに属する原理スロットやプリセットをカテゴライズした「知識体系」と、想起サイクルに属する「言語操作フィルタ」の中身は同一のものとなります。知識体系から必要な知識を想起するので当然ではあるのですが、記銘により記憶したものを検索により想起するという、思考の自然な流れを実現するためにもカテゴライズ・検索システムの工程での考え方は重要です。

ここで記憶するために記銘する対象は記号化(言語化)された情報とコード化(準言語化)された情報です。コードは言語化と近い意味合いがあり、感触や感情や専門理論のように普通では一言で言い表すことが難しい物事を覚えやすい情報量の言葉にまとめる作業を指します。言語化と言っても他人に伝わるような正確な言語化である必要はなく、「なんかこうキラキラな感じ」や「あのときと同じ感じ」などの自分だけに分かる程度でも十分効果はあります。とにかく曖昧な感覚だけだとすぐに忘却されてしまうので、その感覚をせめて覚えておける程度の言語化(準言語化)ができればコード化は成功です。理想はほとんど思考を挟まず直感的に想起できることです。当然ですが、幾何学で構成された透視図法などのように完全に言語化できた方が再現性を獲得できます。

種類 説明 特徴
記号化 ある状態を再現できるパターンを見出すこと。
意味を理解できなくとも再現(転写・真似)できれば良い。
結果論。
解明対象。
コード化
(準言語化)
形容詞や擬音なども使ってある程度まで言語化すること。
その内容が映像記憶や手続記憶を触発する実践的な知識となる。
他人と共有できなくとも自分だけ理解できれば良い。
データ容量が小さく具体的でない。
短期記憶やワーキングメモリで処理。
言語化 理論化して再現性を獲得すること。
他人にも理解できるよう論理的である必要がある。
完全な再現性。
人と共有可能。
記銘 想起する手掛かりのために命名すること。 一般的な記憶行為。
検索効率や記憶強度に関わる。

表 記号化・コード化・言語化・記銘の違い

とはいえ、絵とは多くの情報が合成されたものなので、描いている最中は情報に翻弄されやすいのも事実です。たとえ直前の練習で注意点に気づいていたとしても、適切なタイミングでそのことを考える余裕もないまま絵を描いているはずです。だからこそ情報を処理し切れなくならないよう、まずは全ての原理を文字で書き起こして一覧し、その原理の一覧を視覚的に認識しながら絵を描くことで描画作業中に原理を想起するという訓練(練習タイプ4)を行い、いずれは原理の一覧を視認しなくても頭に浮かぶ状態を目指します。まずは一つ一つの原理の名称を思い出すだけで中身をイメージできるレベルが目安です。

知識の「4つの段階」と「2つのカテゴリー」

では、原理の一覧とはどのような体系を持つものが最適なのでしょうか。ここで重要なのはカテゴライズの方法です。例えば、ラフ画、清書、着色、仕上げといった「工程」を基準にカテゴライズする方法があります。他にも、人物、動物、風景、建造物、抽象画といった「被写体の種類」を基準にカテゴライズする方法もあります。さらに、アニメ、漫画、絵画、イラスト、リアルといった「作品のジャンル」を基準にカテゴライズする方法も可能です。これらのカテゴリーではそれぞれ異なる作風が用いられますが、元を辿れば共通する根本的な原理の組み合わせ方が異なるだけです。それを失念していては人によって異なる解釈をする余地の残された曖昧な概念をベースに思考することになります。

例えば風景画を描くとして、アニメの背景美術として描くのと、カタログに載せる建築パースとして描くのとでは必要な知識は全く異なります。同じ「風景画」というカテゴリーであっても、それに面白い画作りが求められるのか、正確なパースが求められるのか、明確に区別する必要があります。漠然とした「風景画=透視図法」というカテゴライズでは、柔軟な絵が描きたいのに硬い絵になる原因が分からないという事態に陥ります。カテゴライズの不備は必要な技法の選択の失敗を招くため、このままでは理論としては不明瞭です。

不明瞭というのはどういった問題でしょうか。それは言うまでもなく、過程が見えないブラックボックスであるということです。では、過程とは「どこからどこまで」を指すのでしょうか。それは観察対象を「認識」し「理解」し「記憶」するまでを指しています。その中でも「理解と記憶」については、分析サイクルで獲得した記号を適切にカテゴライズする作業を行う「上達サイクル」の工程であると分かります。すると残りの「認識」の工程は「分析サイクル」に含まれていることになり、分析サイクルの中で認識に関わる工程は言語化フィルタであると特定できます。ちなみに、お絵描きの全過程を通して見てみると「認識」「理解」「記憶」に加えて「想起」がありますが、想起は「理解と記憶」したものを思い出すだけの行為なので独自のカテゴリーを持ちません

知識の4形態

2つのカテゴリー

ここまできて問題発生、考察し直しです

※この項目は難しいのでスルーで構いません。

ここで今回の最大の問題に直面しました。前回の記事では練習タイプ2(真似)の考察なのでまだカテゴライズの方法に触れていませんでしたが、どうやら「理解と記憶」のためのカテゴライズを行うためには、まず「認識」のためのカテゴライズを適切に行う必要があり、そうしないと最終的には人によって解釈の異なる普遍性や必然性を欠いた理論にとどまることになりそうです。これまでは「言語化フィルタ」と「原理スロット・プリセットの知識体系」と「言語操作フィルタ」の3つの内容はほぼ共通であると予想して考察を進めてきましたが、正しくは「言語化フィルタ」は分析サイクルの中で対象を認識するため「知識体系」と「言語操作フィルタ」は上達サイクルと想起サイクルの中で知識を記憶し想起するため、という異なる機能を持つことを理解した上でカテゴライズの方針を考える必要がありました。よって、練習タイプ2の段階から考察し直す必要が発生しました。

過去の「正しい記憶の隙間に宿る、誤った先入観の見つけ方」の記事を書いた頃から抱いていたイメージを元に、「知識体系」を「図書館」に例えてみましょう。多くの本をジャンルや五十音順で整理するということはすぐイメージできると思いますが、これが知識体系すなわち「理解と記憶」のカテゴリーにあたるものです。まずは「科学」「歴史」「文学」などのジャンルで分け、各ジャンルはさらに「理論書」「実用書」「資料」などに分けられ、あとは「著者」「五十音順」というように、記憶のためのカテゴライズは樹形図の形をとると予想します。こう考えると、知識の検索しやすさ以前に、どの本棚に分類するかがわかりやすくなくては間違った本棚に収納してしまいます。お絵描きのメカニズムでいう「理解と記憶」のカテゴリーとは、お絵描きに使う記号の分類方法のことです。そうすると、森羅万象の知識を管理する図書館で本を整理するのとは異なり、紙の上で3次元空間を再現する方法についてのみ分類する方がシンプルです。お絵描きの記号に必要なカテゴリーは、図書館の本棚のカテゴリーの中でも「技法」「デザイン」「幾何学」あたりがあればで事足りるはずです。

それに対し認識のためのカテゴライズは全くタイプの異なる考え方になります。認識するためには、まず最初に視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚などの五官によって受け取る情報を処理しなくてはなりません。視覚で直観したばかりの情報にはまだ意味的な要素はなく、つまり認識した直後に行われるのは「記銘」でも「記号化」でもなく「意味づけ」です。記銘は記憶のために行うもの、記号化は分析のために行うもの、そして意味づけは認識のために行うものです。よって、「認識」のカテゴリーが、理解した後の工程で適用される「理解と記憶」のカテゴリーと同じであるはずがありません。図書館の例を考えると一目瞭然です。例えばあなたは図書館に新たに加える本を探しているとして、そこで「森林の環境音のCD」という癒しアイテムを発見した場合、一体どうすべきでしょうか。CDは本ではありませんが、考えようによっては知識の糧になるかもしれません。そのためには、まずCDに収録されている情報を分析分解し、どのような知識と関連するか判断しなくてはなりません。そのような分析を論理的に行うのが、人の認識のパターンを論理学的に精査した哲学者カントの『純粋理性批判』です。

これらの問題については今回の記事を書くための勉強過程で気づいたことなので、前回の記事の範囲である分析サイクルまで戻って考察し直すことについては後日行うとして、今まで「理解と記憶」のためのカテゴライズのモデルになると信じて勉強していた『純粋理性批判』の悟性によるカテゴリーについて軽く触れておきましょう。

「理解と記憶」よりもっと根元の「認識」レベルでカテゴライズするには、「絵」という視点から一旦離れて、もっと原始的な認識というレベルまで分解する必要があります。原理体系の根本付近を正しくカテゴライズできれば、それに続く末端の概念もおのずと正しく整理されていくことになります。人の認識のメカニズムに最適化されたカテゴリーを枠組みとすることで観察対象の情報をすみずみまで精査できるようになり、気を抜いて情報を拾い忘れるということを回避できます。そのことの何が嬉しいかと言うと、獲得した情報を適切に知識体系に組み込めることは当然ですが、なにより意図的に情報を拾えるようになることで数をこなす練習をせずに済む可能性が高いです。そもそも「数をこなす練習」とは練習内容ではなく練習方法を指す言い方で、数をこなさなくてはならないのは目的が漠然としているため広範囲をカバーする必要があるからです。いわば数をこなす練習とは情報を探索するフィールドワークのようなものです。絵の練習の根元にある「認識」を適切に行うことで最小限の練習量で多くの情報を獲得し、練習で獲得した知識が何であるかを正しく「理解」して記銘することで「記憶」し、さらに必要な記憶を効率的に「想起」する、という流れを実現すること目標です。

『純粋理性批判』の悟性におけるカテゴリーとは、物事を認識するときに情報を適切に分類する体系のことで、これは「認識」のためのカテゴリーと呼びました。一方で『お絵描きのメカニズム』におけるカテゴリーとは、記憶や知識の体系で、これは「理解と記憶」のためのカテゴリーと呼びました。この2つの「カテゴリー」には順序的な関係があり、人は普通は「認識」したものを「理解(解釈)」して「記憶」するという流れになっています。すると「認識」の工程はお絵描きのメカニズムにおける言語化フィルタと同義ということになるわけです。ただ、上で述べた知識体系を図書館の本棚に例えたときのように、本を探しているのに音楽CDを手に入れた場合に、それにどのような価値があるかを判断んするには『純粋理性批判』の悟性のさらに次の段階である「理性」による推論が必要となるはずです。それを踏まえると、言語化フィルタは「感性」「悟性」「理性」の3重構造となり、これは現段階の考察では解明するに至っていません。

純粋理性批判を参考にした言語化フィルタ

よって、上達サイクルで行うカテゴライズを考えるのに、これまでは純粋理性批判のカテゴリーを参考にすると散々言ってきましたが、「認識」と「理解と記憶」のカテゴリーが別物だとわかった以上は、上達サイクルのカテゴリーは純粋理性批判に従わずに独自に考えた方が適切だという結論に至りました。いずれにせよ、2つのカテゴリーはお絵描きのメカニズムにとって重要な機能を持っているため、慎重に組み込む必要があります。とりあえずここでは、お絵描きのメカニズムの2つのカテゴリーをどう扱うかという方針を決める程度の話にとどめておこうと思います。2つのカテゴリーに正当性があるかについてはいずれ丁寧に検証する予定です。

※ここまでスルーで構いません。

第3節 「理解と記憶」のカテゴリー 〜お絵描き記号のカテゴリー〜

「理解と記憶」のカテゴリーと言語操作フィルタ

「認識」のカテゴリーは『純粋理性批判』を上手く応用できるまでは解明できないと結論づけましたが、「理解と記憶」のカテゴリーの体系については以前Twitterで考察した独自のアイデアを元に構築してみようと思います。そこでは、人体素体のデザインを模索しているときの考察を総括して、人体デッサンの記号やアタリ線を「測定」「素体」「素材」「印象」の4つの機能に分類しました。当時のツイートはTwitterモーメント「人物画の素体デザインの考察まとめ」にまとめています。

Twitterモーメント「人物画の素体デザインの考察まとめ」

上で述べた4項目は、できる限り誰でも理解しうる客観性を維持するため、基本的には幾何学をベースに整理しています。根本にあるのは背景パースの空間情報、そしてそこから派生する水平線と垂直線、それらを基準にして誤差を抑えたフリーハンド、などを挙げています。幾何学とは全ての人が同一の解釈を得られる概念であり、それは客観性のある認識です(『純粋理性批判』参照)。よって、幾何学ベースで機能を分類することが現段階の最適解と判断しました。また、幾何学的な記号に限定して考察するため、立体感をデッサンするための陰影(シェーディング)に関する技法は今回は除外し、お絵描きのメカニズムのフローチャートにある作業サイクルで扱います。よって絵の着色については明確な境界線のあるアニメ塗りのみを対象とします。

測定記号

「測定」記号は絵の中の空間パースを司る記号

4つの機能のうち1つ目の「測定」の記号は、背景パースの「画角」「アングル」の設定、そして背景パースにのせる被写体の「位置(配置)」「方向」「寸法」を測定する記号で、基本的には透視図法の理論に裏付けされた機能を持ちます。お絵描きとは3次元空間を2次元上に再現する行為であり、浮世絵のように抽象的な空間表現でもない限り、透視図法による空間パースの構築が必須です。また、背景パースを作図する前に印象抽出により大まかな画面レイアウトを決めている場合、その絵の空間パースは精度が低い状態なので測定記号によって整える必要があります。そのときは、印象抽出された画面のエリア分けや被写体のシルエットと辻褄合わせをしながら、目線の高さ(アイレベル)や立体の歪みの度合い(画角)などを設定していきます。このように、測定記号は、0からの空間パースの構築、印象抽出した画面レイアウトと空間パースの辻褄合わせ、空間パースに被写体をのせる、といった用途があります。

つまるところ、測定記号とは透視図法であり、あるいは透視図法の機能を利用する記号のことです。絵を描き始めるにはまず絵の空間を構築する必要があるため、基本的にはまずパースグリッドの作図を施します。仮に画面レイアウト先行で描く場合も、印象抽出で描いた曖昧なシルエットや画面レイアウトに秩序を与えるかのごとくアイレベルや消失点の位置を特定し、その絵の空間がどれくらいの画角でどういうアングルで切り取られているかを明確にしていきます。そうすることで様々な透視図法の応用技法が適用できるようになり、同じサイズの被写体を奥行きの縮小がかかった状態で遠くに配置したり、D点法やM点法によって奥行きの長さの測定したり、ユアッサーの法則によって被写体を回転させたり、さながら3DCGのように自由自在に動かすことができるようになります。測定記号は、透視図法をベースとする様々な手法を適用するための地盤を整える「空間の遠近感」のための記号といえます。

測定記号は透視図法がベースとなっているためすでに言語化されており、他人が考案したものをそのまま活用できます。画角を測定したり、アングルを回転させたり、等間隔で配置したり、空間上の配置と画面上の配置のつじつまを確認したり、さまざまなシチュエーションで問題解決に役立つ手法がたくさんあります。座学によって身につければ即戦力になるため、なるべく多く知っておくことが有利となります。

測定するといっても数値的なものだけはではなく、背景パースや素体を参考にしつつ他のパーツとの相対的な位置関係やサイズを検証するのにも使います。測定の記号は、描き始めの段階から仕上げ段階に至るまで随時使い続けるもので、さらには一度描き終わったラフスケッチを添削する段階でも活躍します。

素体

2種類の「素体」

4つの機能のうち2つ目の「素体」とは、デッサンする形状の基礎となる単純形状の記号のことで、丁度3DCGソフトにプリインストールされている立方体、球体、円柱、円錐などの基本形状と同じ機能をもつものです。人体デッサンでは、作風に合うプロポーションを事前に組み込んでおくデッサン人形として使います。素体の目的は、被写体の立体形状の情報量を削減しておくことで作画の手間を省き、作画の試行錯誤に集中することです。そして、素体という記号はさらに2種類に分類でき、それぞれ「箱型素体」と「流線型素体」と呼ぶことにします。

「箱型素体」とは、遠近感をデッサンするための記号

まずは箱型素体について。箱型(八面体)は透視図法によって方向と寸法を正確に測定するのが容易な形状です。まず印象抽出による大まかな画面レイアウトがスケッチされ、そのレイアウトを目安にしながら箱型素体を「配置」し、それから遠近感(パース)を意識して「方向」や「寸法」を決定していきます。これら「配置」「方向」「寸法」は遠近感に関わる項目です。箱型素体は「被写体の遠近感」のための記号です。

被写体の配置について

箱型素体を描くための「被写体の配置」は印象抽出をベースに行います。測定記号のところでも言ったように、印象抽出と背景パースはつじつま合わせによって統合することができますが、同じように印象抽出と箱型素体も統合できます。そもそも、印象抽出はこれから描こうとしている絵の下描きであり、それに背景パースや箱型素体が付随するのは当然のことです。つまり、脳内イメージの画面レイアウトを印象抽出し、それに矛盾しない範囲で「空間の遠近感」と「被写体の遠近感」を構築し、それにより絵の中の空間を把握できるようになります。

被写体の配置(動画)

被写体の方向について

特に「被写体の方向」をデッサンするのに箱型素体は最適です。箱型素体の最大の機能は、ほとんどの場合に被写体の面や稜線の「方向」が背景のパースラインと一致しているということです。被写体のデッサンが狂うのは結局はパース(方向・寸法)の狂いによって歪んで見えるのが原因です。もし、被写体のパースラインと背景のパースラインを対応付けられたとしたら、少なくとも被写体のパースの方向の狂いを防げるようになります。そのためには、箱型素体の稜線は解剖学的な情報を元にし、その中でも水平方向や垂直方向の稜線を有効利用するようにデザインするのが好ましいです。箱型素体は必ず箱型である必要はなく、背景パースと対応させられる稜線や補助線(コントラポストなど)があれば十分機能します。そのような稜線をパッケージングしたものを箱型素体と呼びます。

箱型素体のデザイン

基本的には、箱型素体を背景パース(測定記号)にのせれば背景と被写体の遠近感が狂わずにデッサンできる、という目的を達成できます。しかし、それでは全ての箱型素体が同じ方向を向いた絵しか描けないという問題があります。背景パースと方向が一致していない箱型素体を描きたいときは、パースにのった状態の八面体を正確に回転させる必要がありますが、それについてはユアッサーの法則を使えば解決できます。「被写体の方向」のコントロールには、背景パースにのせて奥行きの縮小の方向を統一、回転させて自由に方向を変更、という2つの目的があります。箱型素体はそれら2つの目的を達成するために役立ちます。

被写体の方向(動画)

被写体の寸法について

また、パースにのった「被写体の寸法」をデッサンするには、透視図法の手法(D点法・M点法)によって奥行きの長さを測定する方法や、立方体ベースの素体を感覚で描く方法があります。透視図法をマスターしておけば奥行きの長さを作図することは容易です。特に立方体は、自由自在のアングルを感覚で描く技法もあり、さらに面の対角線が45°なので幾何学の法則を利用して複製作図でき、デッサンの土台とするにはかなり優秀な形状です。そして、立方体を連結していけばキャンバス内の空間をパースに沿って移動できるようになるため、とりあえずはパースに乗った被写体の寸法で悩むことはなくなります。立方体を感覚でデッサンする技法を学びたいなら、まずは美術講師の湯浅誠さんが考案された「立方体の九九」を練習してみてはいかがでしょうか。

「流線型素体」とは、立体感をデッサンするための記号

そして流線型素体について。被写体の「配置・方向・寸法」が決まると、次は被写体そのものの形状をデッサンする準備が必要になります。被写体がそもそも箱型の建築物などであれば箱型素体のみでデッサンが完了できますが、人物や動物や現代的なデザインの機械などは複雑な曲面で構成されているため、1から感覚のみでデッサンするのはかなりの熟練が必要です。感覚で描けないのであれば、被写体の立体形状を2次元上でスキャンしながらデッサンする方法が必要となり、それが人体素体の表面に補助線が張り巡らされた流線型素体ということです。

そのような補助線を設計するには、日々の練習で試行錯誤を重ねて自分の描きたい絵に必要な情報を発見、収集、保管することから始めるといいでしょう。複雑形状の被写体は情報量が多いため、それをデッサンするために必要な補助線の種類は膨大です。だからといって何か絵を描く度に全ての補助線を使用するわけではなく、被写体の立体形状の知りたい部分をスキャンするイメージで必要最低限の補助線を描き込みます。また、耳や指などの素体本体の付属的なパーツも流線型素体の一部として設計した方が効率的だと思われます。たとえ解剖学的な根拠がなくとも、素体表面に沿って補助線をたすき掛けすることで、立体形状を把握しながら突起物の接合部の断面を特定できます。流線型素体のデザインは、解剖学的な根拠のある線、被写体表面に沿う線、突起物などのパーツが接合される部分の断面、などを組み込みます

流線型素体のデザイン

イメージが掴めないなら、流線型素体の補助線とは競泳水着の模様のようなものと思えばいいです。競泳水着の模様は水を搔き分けるスピード感を表現しているため単純に格好いいフォルムに見えるし、何より腕や脚の付け根の断面の記号としてはほぼ完成形とも言える代物です。まとめると、流線型素体は、被写体の表面に補助線を張り巡らせて立体形状をスキャンし、輪郭線の前後関係による立体感の表現や、突起物の断面の接合部断面の位置を特定する、「被写体の立体感」のための記号ということです

流線型素体の補助線と競泳水着

使い方としては、断面形状がイメージできない、シェーディングの基準となる立体の面の方向が特定できない、線画だけで表現したいけど立体感を表現する輪郭線にならない、などというときにはじっくりと被写体表面に補助線を走らせて立体感をスキャンしてみるといいでしょう。補助線を描いてみて、遠近感を損なわずに左右対称となる模様に見えるか、または等間隔にスライスしたときの断面がパースにのせてもちゃんと等間隔のものとして見えるか、などを検証してみると添削が行えます。例えば下図の右端の絵は、一旦デッサンされた斜めアングルの人体素体の表面に様々な線対称な模様を描き込み、それが奥と手前でちゃんと線対称に見えるかどうかを手がかりに立体感をスキャンしています。もしこのときに、何度修正しても違和感が消えないということがあれば、実写などの手本(外部記録)を観察して記号化してくる必要があります。流線型素体の補助線による被写体の立体感スキャンという行為は、自分が何を描けないのかを検出することにも役立ちます。

箱型素体はロボ、流線型素体はパイロットスーツ

「箱型素体」と「流線型素体」という2種類の素体について説明してきましたが、もっと分かりやすい例があります。箱型素体はロボットアニメのメカデザイン、流線型素体はそのロボットにのるパイロットのスーツのデザインです。メカデザインは角ばったフォルムのものが多いため、立体感が掴みやすくパースにのせるのに適した稜線が豊富に含まれています。一方、パイロットスーツの模様は、体のラインや凹凸を強調する線が電子回路のように張り巡らされているものが多いです。このように、素体デザインの作業は、キャラクターデザインの作業とほとんど同じということが見受けられます。

素材(デザイン)

「素材」とは、素体デザインのための材料

4つの機能のうち3つ目素材とは、素体の上に貼り付けていくディテールの記号のことで、髪型、ファッション、装飾などといった、使い回しができないようなその都度異なる形状で描かなくてはならない部分、いわゆる「被写体のデザイン」に関わる記号です。

被写体のデザイン

分かりやすい例としてアニメ作品のキャラクター設定画を挙げますが、全てのキャラクターのプロポーションは「素体」によって統一され、個々のキャラクターの特徴は「素材」の形状や位置の設計図によって統一され、それにより作品に関わる全スタッフの作画の統一感が保たれています。多くの絵描きが統一された絵を描くことと、初心者が上手い絵を描けるようになることに、大した違いはありません。むしろキャラ設定画は絵柄を統一することが目的なので、素材を抽出しやすい初心者向けの手本(外部記録)として活用できます。これまでに描いたことのない物をデッサンするために手本(外部記録)を観察して、必要な情報だけを抽出して単純化する行為の産物のことを「素材(デザイン)」と呼ぶといって差し支えありません。模写練習ではパーツ形状や補助線のレパートリーを増やすことが目的ですが、その理由はまず素材集めをしないと素体デザインも測定記号も使えないからです。

過去に自分で行った「素材」集めの模写練習の例(Twitterモーメント)

また、素材も使い慣れてしまえば素体のよう扱うことが可能となり、このことから素体とは素材の集合体であると言えます。例えば、お絵描き初心者が人物画を描けるようになるには、まずヌードポーズ集などを模写練習して人体素体(箱型・流線型)をデザインしていきます。これはこれまでに人体素体すら描いたことがないから手本(外部記録)を観察して記号化しているわけで、さきほど述べた素材をデザインする過程と全く同じです。そして基礎練習を十分にこなした初心者は「素体」を完成させ、それ以降はその「素体」をベースにした人物画を描けるようになり、さらに手本(外部記録)を観察して情報量(デザイン)の多い絵を描くために「素材」を集める練習を繰り返すというわけです。それを続けるうちに素材が組み込まれた状態がデフォルトの素体となり、素体が素材によってアップデートされることになります。この段階までくると、特定のキャラクターを安定してデッサンできるようになります。

まだ自分で素体をデザインするレベルに達していないので、人の絵を参考にしてみたいと思います。下のツイートは美術講師の湯浅誠さんの素体デザインの考察ツイートです。パッと見ただけで筋肉の凹凸を把握できるだけの情報が盛り込まれている上、パースにのせる際に肩や肘の高さの基準となる断面や、手の甲などの大きな面をあえて平坦に角張らせて単純化することで方向を操作しやすくしているなど、人物デッサンの再現性を高めるデザインとなっています。今いくつか列挙したように、描かれている線の根拠をある程度言語化でき、その一つ一つが日々の模写練習で習得した「素材」にあたります。そして「箱型素体」要素は被写体の遠近感(寸法・方向)を描くために役立つ、肩や肘の高さ断面、正中線、手の甲の単純化など。「流線型素体」要素は被写体の立体感を描くために役立つ、大きな筋肉をブロック分けして粘土のように貼り付ける方法、上腕二頭筋の丸みをスキャンする補助線など。普段行う模写練習は、これらの素材を手本から逆算するように分析して学び取ることが目的です。自分に必要な素材はどのようなものかを念頭に置き、すなわち練習課題を設定して手本(外部記録)を観察します。学び取った素材を統合すればオリジナルの素体デザインの完成です。

素材とは描き方の法則のこと

もっと厳密に定義するなら、素材とは様々なパーツを作画するための法則とでもいうべきです。素体は使い回すために事前に設計するもので、その素体は素材の集合体だと言いましたが、使い回すためには作画に再現性が必要です。作画の再現性を獲得するには、基本となる寸法や形状、違うアングルからの見え方、始点や終点の取り方、などといった具体的な描き方を生み出さなくてはなりません。再現性のある具体的な描き方とはすなわち描き方を言語化することです。また、再現性を分析するには結果物から逆算していくことでブラックボックスになるのを回避できます。それ故に、結果物(外部記録)を観察(認識)して逆算(解釈)することで具体的な描き方を言語化(記号化)する言語化フィルタ「認識」のカテゴリーの理解が重要となるわけです。なにせ「認識」した情報を解剖、再構築して幾何学的な記号を抽出するわけですから。

印象記号

「印象」とは、あえて嘘をついて見栄えを整える記号

4つの機能のうち4つ目印象は、「遠近感」「立体感」「デザイン」の3点セットが揃った被写体の、見た目が狙い通りになるようディテールの描き込みや微調整を行うための記号です。例えば、髪の束や服のシワの線の本数で情報量を調節したり、躍動感を出すためにギャグ漫画のようなポーズにしたり、空気遠近法を再現するために遠景の輪郭線を省略したり、残像を感じさせる効果線(モーションブラー)であったり、これら全て印象に関わる記号表現です。ここまでは、素体と素材を使って機械的に正確にデッサンすることを目的としていましたが、印象の記号は感覚による微調整や誇張など、あえて「嘘をつく」デッサンをすることを目的とします。印象とはあくまで感情的な認識であり、たとえ3次元的(現実的)に正しくなくとも絵として狙い通り表現できれば全て良し、というのが特徴です。

表情の印象

印象記号は理論的な正しさがなく、鑑賞者の心理的な作用によって良し悪しが評価されるものです。実物に近づけることが正解とされてきた「測定」「素体」「素材」とは真逆で、「印象」は本物っぽすぎて面白みがなくならないようデフォルメすることで正解を探ります。例えば、キャラクターの目の瞼や眉の角度で表情が微妙に変化したり、あえて奥にある目を大きく描いて奥行きの縮小による表情の歪みを軽減したり、不安定感を表現するために重心が偏った逆三角形に被写体やポーズをデザインしたり、「多分こう描いたら鑑賞者はこう受け取ってくれるはず」という予想のもと印象記号を組み込む他ありません。ちなみに、時代によって変化するキャラの目の描き方などは「素材(デザイン)」の領分であり、印象記号には該当しないこととします。

また、印象記号を多様した絵は、実写を再現した絵に比べて実在感(リアリティ)が損なわれやすくなります。いわゆる漫画的なスタンプ絵というやつは決めポーズやお決まりの表情を表現する際には効果を発揮しますが、作者がそのような明確な意図により描いていることに鑑賞者が気づいてしまっていると、もはや説明的に捉えられてしまいその絵を見ても想像が掻き立てられることは無くなり(シラけ)ます。相手を楽しませるために大げさな嘘をつくもよし、相手に気づかれない優しい嘘をつくもよし、目立つ印象記号は用法・容量を守って正しく使う必要があります。

嘘をつくといっても何でもありというわけではなく、嘘をついた上で鑑賞者を「騙す」ことができなければただのデッサンの狂いにしか見えません。印象の記号は、素体と素材の記号をしっかりとデッサンできる画力の上に成り立つものです。自由自在に絵を描くということは、客観的に「上手い絵」に「嘘」を隠して見た人を騙すということなのかもしれません。しかし、そのためには自分一人で考えるだけではなく、流行りや歴史から見栄えする傾向を読み取る努力が必要になるかもしれません。そこまでしなくともとりあえずは、自身の好みや心理学的なアプローチを試みるのが得策でしょう。

印象記号の「嘘パース」を有効利用する方法を挙げてみます。嘘パースは、背景に対しても被写体に対しても適用でき、空間の距離や被写体の寸法を自由に伸縮させるものです。例えばパンチをするキャラの拳の迫力を出したいとき、画面レイアウトでは拳を拡大して描くことが有効ですが、それを上面図や側面図で見ると腕が伸びて長くなっています。ただ、上面図や側面図で寸法に違和感が発生しても、絵として重要なのは画面の見栄えの方です。もし絵を見た鑑賞者が上面図や側面図でおかしなことになってるのではないかと察知してしまうようであれば、それは嘘パースではなく作画崩壊と呼ばれます。嘘パースを使うときは鑑賞者を「騙す」ことに失敗してはいけません。

印象の記号は正しい嘘デッサン

もう一つ嘘パースの例です。今度はキャラではなく背景を伸縮させます。画面レイアウトを考えるときにキャラクターは自由に移動できますが、背景は整合性を取るのが難しくなります。背景は基本的にはデフォルメされる類の被写体ではなく、リアルのまま描いても絵としての魅力を失わないためパースグリッドとほぼ一致する形状で描かれ、それ故に嘘がバレやすいという問題があります。ときにはアトランダムにパースを曲げて複雑化することで現実味を付与する必要があります。

印象の記号は正しい嘘デッサン

練習過程の分岐点の可視化

絵の練習で行う3つの判断

絵の練習をしている大抵の人はすでに多くの素材を知っています。そのため、「認識」の仕組みを知らずとも「理解と記憶」の仕組みを考察することができます。しかし、全く絵を描いたことのない人が上達するために素材集めの練習を行おうという場合、いきなり手本を見せて記号化しろと言われてもチンプンカンプンです。だから初心者は練習タイプ1(転写)から入門するわけですが、いずれは記号化の文脈すなわち「認識のカテゴリー」の存在に気づいて知識を蓄えられるようになるはずです。このとき、初心者に「認識のカテゴリー」を説明して理解させることができたなら、初めから練習タイプ2(真似)に進むことができます。そして、「理解と記憶のカテゴリー」すなわち「お絵描き記号のカテゴリー」を理論化しておけば、ごくわずかな練習量で練習タイプ3(試し撃ち)にも進むことができます。『純粋理性批判』などの難しい哲学書を参考にしているのは、上述のことを実現したいからです。まだ研究中ですが、認識のメカニズムの解明は「素材」集めの効率化に繋がり、ひいてはお絵描き上達の効率化に繋がるということです。

絵を練習するとき、特に素体デザインの作業にはどのような判断が行われているか考えてみましょう。例えばヌードポーズ集の模写をするとします。あるポーズを描きたいときのコントラポストはどの高さで何ヶ所で取るのかを考える、これが素材選択です。また、あるヘアスタイルを描きたい時のシルエットや凹凸を表現する方法はあるか、これは素材分析です。そうしてデッサンに必要な素材を素体にパッケージングします。このように絵の練習ですべき3つの判断は、1つ目すでに習得している記号のうち素体に盛り込む素材を選択するか、2つ目描き方が確立していないものをいかに表現するために手本を分析するか、3つ目描き方を確立できないもの(印象記号)として素体化を保留しておくか、となります。つまり、自分の知識で処理するか、新たな知識として取り入れるか、感覚的に処理するか、という単純な思考の分岐がなされるということです。こういうことを理論化できるだけでも絵の上達の効率は格段に向上できるはずです。

種類 説明 主な作業
素材選択 既知の記号を使って再現性を獲得する。 素体デザイン
素材分析 再現性のある描き方を新たに習得する。 記号化 → コード化 → 言語化 → 記銘
印象記号 再現性はあるが安定性に欠ける。 記号化まで

表 模写練習の3つの判断

絵の練習で習得できるのは「素材」か「印象記号」

素体」「素材」「印象記号」の関係は入れ子状になっており、練習で行う判断でどれを習得できるかが変化します。絵の練習は再現性のある画力を身につけるために練習しているので、基本的には「素体」をデザインするために「素材」を集めますが、十分な情報を得られない場合は「印象記号」として保留しておくということは先ほど述べました。あえて画力というものを足し算で表してみます。まず、再現性のある画力を身につけるには「素体」をデザインするために「素材」を集めますが、つまり「素材 + 素材 + 素材 = 素体」ということです。また、絵とは記号の集合体なので「素体 + 印象記号 = 絵」ということになります。ちなみに、画面に現れる全てのものを「被写体」と定義するとして、「測定記号」は、空間の遠近感をデッサンするための補助線であり最終的に画面に現れることはないため、素材と統合はせずにそれ単体の機能として扱うこととします。すると、絵の練習の目的は「素材」と「印象記号」のいずれかの獲得であるということになります。

このときの「素材」か「印象記号」かの区別は、練習タイプ1(転写)練習タイプ2(真似)の模写や分析により、素体化できるだけの情報が得られたかどうかによります。「目の描き方」や「決めポーズ」などという抽象的な評価基準があるものは認知心理学的に解明されない限り、お決まりの表現方法として真似して描くか、リアルタイムで自分の印象によって調整する他ありません。つまり印象記号です。一方、「立体感」や「遠近感」などは3DCGであれば得意とすることですが、人間の映像記憶能力や演算能力では完全に把握することはできないため、言語化して素体をデザインしておく必要があります。つまり素材です。新たな知識として習得するものは「素材」、やむおえず一時的に感覚で処理するものは「印象記号」であるということです。

種類 説明
素材 再現性のある描き方を確立した状態。
素体に組み込める状態。
転写ではなく真似。
髪の束
服のシワ
目の大きさ
木の枝
車のシェイプ
印象記号 再現するのに感覚的な調整が必要。
さらなる言語化が必要。
根拠の特定が難しい。
創造性に富む部分でもある。
微妙な表情
ギャグ表現
嘘パース
デフォルメ

表 素材と印象記号の違い

一般的なお絵描きの考え方と違い、お絵描きのメカニズムでは印象記号として狙い通り描けていたとしても、いずれ言語化することで再現性を獲得するつもりでいるというスタンスです。「絵 = 素体 + 印象記号」ではなく「絵 = 素体」となるまで言語化は終わりません。もし絵の練習の達成度に点数をつけるとしたら、何も考えない模写0点、下手な模写20点、転写30点、印象記号化50点、素材採取70点、素体化90点、といったところでしょうか。100点がつくのはどんな時なんでしょうね。

絵の練習で習得しきれない部分は「印象記号」として保留しておく

印象抽出」と「印象記号」は、同じ「印象」という単語が使われているだけあって相応に関係しています。まず印象抽出は、映像記憶として浮かんでいる描きたい絵の理想像の印象を出来るだけ紙の上に具現化する行為です。一方印象記号は、絵の見栄えを理想像に近づけるための記号です。つまり、印象抽出だけでは曖昧な映像記憶の全てを具現化しきれないため、印象記号で意図的に操作する機会を設けて不足する印象を補填することで理想像を再現する、という関係にあります。鑑賞者は完成した絵から醸し出される印象を感じ取りますが、デッサンの狂いは狙った印象よりも強い印象(違和感のこと)を上塗りしてしまいます。できる限りその違和感を排除するために「理屈」で再現性のある画力を習得し、脳内イメージにある理想像の「印象」の再現性を高めるということです。理屈と印象は対極的な概念に思えますが、実は互いに支え合う必要なものです。

種類 説明 使用例
印象抽出 脳内イメージである映像記憶(理想像)の印象をできる限り描き写す行為。
人間の能力では構図の下描き程度までしか抽出できない。
主観的印象。
下描き
画面レイアウト
うろ覚えデッサン
印象記号 少しでも理想像に近づけるために見栄えを整えるもの。
鑑賞者の視点に立って描画中の絵を評価する機会。
客観的印象。
最後の微調整
人の絵柄の真似
自分の好みで盛る

表 印象抽出と印象記号の違い

しかし印象記号は万能ではありません。絵を理想像に近づけるための努力をするという意味はありますが、必ず印象を再現できるという類のものではありません。前々回の記事の「外部記録」の項目で説明したように、人の記憶というのは時間の経過とともに変化していくものです。こと映像記憶ともなると簡単に上書きされてしまう、というより、そもそも記憶している映像を完全に認識すること自体できないレベルで当てになりません。そして、「印象」とは完成図を映像として視認あるいはイメージしたときに認識できる感覚のことで、いくら同じ印象記号を使って絵を描こうとしても認識できる「印象」自体が変わっている可能性があります。これはつまり、再現性のある記号ではなくその時々の感覚で描いているだけと言っても過言ではありません。結局のところ、印象記号は、それが醸し出す「印象」はそのときの自分の好みや世間の流行りに引っ張られてしまうようなもので、再現性の記号としては不十分ということです。よって、理屈で絵を描くことを目指している以上、印象記号はいずれ言語化して再現性のある素体として習得すべきと考えます。

印象記号の不安定性

verアップに向けて、お絵描きのメカニズムの要改善点

原理と素材の再定義

お絵描きのメカニズムでは知識のことを原理スロットと呼び、原理とは再現性のある記号のことであり、様々な記号の土台となるのは素材であり、すなわち「原理」と「素材」はほぼ同義であるといえます。そして原理スロットを組み合わせたものをプリセットと呼んでいますが、この時も原理と素材を同義に捉えて構いません。ただ、このままだと複数の素材をパッケージングしたものを素体と呼ぶことと定義が似てしまうため、ここで厳密に定義しておく必要があります。まずプリセットとは、ある目的のために必要な原理(素材)を適用していく「手順」の知識のことです。そして素体とは、ある被写体をデッサンするために必要な素材(原理)を盛り込んだ「パッケージ」のことです。ただ、強いて言えば素材は描かれるべき形状がある程度決まっているので具象的なもの、原理は何かしらの形状を描くための考え方なので抽象的なものです。これらが『純粋理性批判』を参考にすることで正確に分類できるようになることを切に願います。

お絵描きのメカニズムの流れを再確認

それではお絵描きのメカニズム全体のフローを再確認してみます。まず、分析サイクルでは想起サイクル逆算(作者や鑑賞者の思考を追体験)することで素材もしくは印象記号を言語化する練習を行います。学び取った記号は記銘を行って上達サイクルに移行し、試し撃ちしたのちカテゴライズして知識体系に組み込みます。

また、想起サイクルには「印象抽出」「測定」「箱型素体」「流線型素体」「素材」「印象」「ラフスケッチ」「添削」という工程があります。印象抽出映像記憶から理想像の具現化を図り、印象記号は具現化しきれなかった不足分を意図的に補填します。箱型素体流線型素体素材によってアップデートされます。測定記号は空間の遠近感を決定し、また、ラフスケッチの違和感(パースの狂い)を検出して添削します。このように、記号がカテゴライズできたことによりお絵描きとは何を行うことなのかが明確に説明できるようになりました。

上達の再定義

熟練者が下描きもせずに一発描きをしているように見えるのは、おそらく最小限の線だけで素体や印象記号をデッサンし、印象抽出と下描きと清書を同時に行なっているのだと思います(イラストを色紙にサインペンで描くことなど)。しかし、まだ能力不足の人の場合は同時に思考できることは少ないため、一つ一つの工程を丁寧に積み上げなくてはなりません。熟練(上達)するための練習とは、このように思考の処理能力を向上させるために行うもので、絵の記号などの知識を蓄えたり上手い人の絵柄をコピーすることなどはあまり重要ではないのかも知れません。つまり、熟練とは「知識」を想起する「技術」を高めることと言えますす。つまり、「知識」と「技術」は個別に習得するものということです。

お絵描きのメカニズムでは、上達サイクル知識を整理することを目的としていましたが、絵の記号の体系が明らかになると上達サイクルの機能はほぼ機械的に発揮できるようになります。そうすると、まだ解説はしていませんが集中サイクルのような記憶を活性化して知識の想起の効率を高める行為こそ、本来の上達サイクルの目的ではないかと考えるようになりました。これについてもお絵描きのメカニズム全体の見直しが必要となる問題なので、今回は保留ということにしておきます。下図は今回の記事の考察を取り入れたお絵描きのメカニズムのフローチャートです。

お絵描きのメカニズムの変更点

種類 用途
印象抽出 画面レイアウト
被写体配置
測定 空間の遠近感
箱型素体 被写体の遠近感
流線型素体 被写体の立体感
素材 被写体のデザイン
印象 被写体の見栄え

表 絵の記号まとめ

第4節 映像記憶

記憶だろうと現実だろうと人はまともに風景を認識できない

映像記憶」は、写真記憶や直観像記憶とも言われます。この能力は幼少期は高く、思春期以前あたりで消失してしまうそうです。言語能力が発達してくるのもその頃です。映像記憶能力は、物事を形容する言語が存在しない自然界で地形や天敵を認識するために必要な原始的な能力です。ハトやシャケの帰巣本能に似て言語化できない類の能力です。それに対して言語を発明してしまった人類は映像記憶より意味記憶などを発達させたと言われています(Wiki「映像記憶」より)。

お絵描きにおける映像記憶は、ほとんどの人の場合は正確に認識できていません。例えば、何かしらの風景やシーンを想起したとして、隅々まで見渡すことができないどころか、その映像には意外なものは何一つ映っていません。つまり、曖昧な映像記憶をベースとしてプライミング記憶によって先入観に満ちた映像を再構成しているわけです。プライミング記憶とは、何かを認識するときに全てを正確に認識せず、認識しなかった部分を先入観によって補完する機能を持つものです。そして、プライミング記憶は主に意味記憶、手続き記憶、エピソード記憶によって、すなわちその人の独自の経験によって支えられているため、基本的にはお絵描きにおいて映像記憶そのものを当てにすることはできません。あくまで、イメージのベースとして利用します。

  短期記憶 意味記憶 エピソード記憶 手続き記憶 プライミング記憶
役割 直前の記憶
メモリ
言語によって形成され、論理的に想起される イメージによって形成され、関連性によって想起される 体感によって形成され、無意識に想起される 先入観によって一時的に生成される
人類 :使える
時間経過で著しく劣化してしまう
:いまいち
言語でしか理論化できないが、人の処理能力の範囲内でしか機能しない
:いまいち
人の処理能力の範囲内で制限されるが、関連性を見出すのは人にしかできない
×:使えない
相当な訓練が必要
:優秀
論理が破綻する方向へも想像できる
AI :優秀
半永久的に保持が可能
:優秀
論理の慣性系であるプログラムによって、間違いをせず一瞬で想起できるし劣化しない
:優秀
関連付けさえできれば、意味記憶と同等に扱える
:優秀
手順さえマニュアル化できれば完全再現できるし劣化しない
×:使えない
先入観を持たず、データベースのみに従う

表 記憶の種類早見表

映像記憶の正しい使い方

ただ、当てにならないからと言って不要というわけではありません。曖昧な映像記憶すらない状態だとすると、絵を描く為の初期イメージを外部記録に依存することになり、それで出来ることは練習タイプ1(転写)練習タイプ2(真似)に絞られ、これらは練習目的で行うものなのでお絵描きの全行程が機械的な行為となってしまい退屈です。映像記憶は曖昧であるからこそ自由度が非常に高く、イメージのベースとするには最適なのです。それ故に、映像記憶の次の工程は印象抽出となっているわけです。例えるなら、ある立体作品を彫刻するためのラフ形状を作成する素材に、木材(外部記録)を選ぶか、粘土(映像記憶)を選ぶかというくらいの違いがあります。映像記憶の最大のメリットは加工のしやすさとリセットのしやすさです。逆に言えば変わりやすく消えやすいのですが、付いて回る欠点に悩むより有効利用するのが吉です。

よって映像記憶を最大限活用するためには、無意識状態だと「映像記憶」を「プライミング記憶」で補完していたところを、意識的に「映像記憶」を「意味記憶(言語)」によって補強します。彫刻の例えを用いると、プライミング記憶による補完とは深く考えず粘土を決まった「型」にねじ込む行為で、意味記憶による補強は型(プライミング記憶)と彫刻刀(意味記憶)を使った繊細な造形をも可能にする行為です。型は既に決まった形状(描き慣れた構図や手癖など)の生成しかできませんが、様々な小道具を使えるならどのような形状でも生成できるようになります。そして、ここでいう意味記憶や彫刻刀などのことを記号原理スロットプリセットと呼んでいます。前回の記事で言語による影響で脳内イメージがモーフィングする現象を「ロコモコ現象」と名付け(ただのおふざけですが)ましたが、それと同じ行為です。

つまり、映像記憶とは、人によって能力の優劣はあれど記憶と冠する以上は素材でしかないということです。しかし、素材としては外部記録に比べかなり曖昧で、それ故に描きたい絵のイメージのベースとするには高い自由度を発揮します。また、映像記憶をラフスケッチとしてアウトプットするには印象抽出という変換効率の低い工程を経るため、そもそも映像記憶自体を絵として利用することはまず不可能です。映像記憶の正しい運用方法は、構図のコンセプトのたたき台、ラフスケッチの評価の比較対象、という2つの目的に限定されることになります。あくまで明確な映像ではなく感覚的な印象としてのみ認識できる範囲です。最初と最後にチラッと気にする対象、主に想起サイクルや分析サイクルのループの区切りに必要となるということです。

映像記憶の使い方

ちなみに、映像記憶が異常に発達した人は複雑な街並みなども正確に描画できるそうですが、それは言わばただの写真、あくまで「上手い絵」であって「良い絵」ではありません。良い絵を描くにはそういった文脈の記号を使わなくてはならず、映像記憶能力が高ければ有利というわけではありません。

第5節 上達サイクル

上達サイクルはインプットとアウトプットの中継点

それでは上達サイクルについてまとめておきます。ひとつは、練習によって学んだ記号にタイトルをつけて記銘し、適切にカテゴライズして知識体系に取り込み、脳内イメージに影響を与えます。これは、分析サイクルでの学びを確実に知識体系や思考に取り込む準備をするということで、「理解と記憶」の工程にあたると言えます。もうひとつは、知識体系が整うことによって必要な記憶を探しやすくなります。これは、想起サイクルでの描画技術の底力をつけるということで、「想起」の工程にあたるといえます。これらは、以前に正しい記憶の隙間に宿る、誤った先入観の見つけ方の記事で考察していた、記憶を本棚に例えていたものに科学的根拠が付与された考え方になります。

この上達サイクルの仕組みさえ理解できれば、普段の絵の練習の目的意識が明確になり、必死に数をこなす練習をしなくて済むようになるはずです。というより、量をこなしても収穫を得られず虚無感に見舞われるということ(非随伴性の学習)を回避できます。どうしても数はこなす事にはなるはずなので、分析サイクルでは情報収集のために数をこなし、上達サイクルでは情報整理のために数をこなす、そして想起サイクルでは慣れるために数をこなす、ということです。人間は知識欲の生き物なので目的がわかっていればモチベーションを維持しやすくなります。

まとめ

何か難しいモチーフの描画に挑むとして、もし悩むことなく描けたらそれは絵が上手い人と同じ精神的負担で描けたと言うことです。そして繰り返し描いてモチーフの練度を上げていく中で、そのときの精神的負担が一定に保てるよう知識を整理し続けると上達に繋がると予想しています。実際に記事のための図解を描いているとき、描けなくて苦しいということが全くなく、もしこのまま理屈を連結していけば何でも描けるのではないかと思いましたが、これはすでに文章化した手順に沿っていたからです。今の自分の画力はこの記事の文章の内容に依存しているということです。

ただ、描けなくて苦しいということはありませんでしたが、描くものに悩むということは大いにありました。それは描きたい絵の構図やモチーフといった表現技術の領分なので今は手間取って当然であり、いずれ理論化する予定なので問題ありません。今は構想を紙の上に再現するにはどうするかを描画技術によって計画するだけです。

妄想ですが、職人はひとつの仕事を一生繰り返すというイメージで、同じことは飽きるのでできる限り手間を省略したいと感じるはずです。それが効率化、熟練化のモチベーション。これは普通の知能レベルがあれば8割位までは効率化や熟練が可能だと思います。そこから先は何の変哲もない工程に意識を向けて分解と再構築を繰り返してアップデートするというストレスを自身に課せられるかが重要です。全ての手間を最高効率で処理できるようになれば「絵を描くのが楽しいから努力する」必要すらなくなり「絵を描くのがただただ楽しい」となるかもしれません。その域に到達するために現在行なっている試行錯誤の努力は必要な犠牲ということですね。

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