お絵描きホーホー論

理屈で絵が描ける事を証明する

お絵描きのメカニズム 第2巻 〜感覚で描く絵、理屈で描く絵〜

お絵描きのメカニズム全体の目次(前回から引用) お絵描きのメカニズムver1.09

前回の記事のお絵描きのメカニズム 第1巻 〜絵は才能でなく根気で描ける〜では主に「具象領域」について解説しましたが、今回からは「抽象領域」に突入です。ぜひ言語と記憶だけの曖昧な世界を堪能してください。

抽象領域 緒言|~感覚に頼らざるを得ない~

練習タイプ1(転写)は外部記録をしっかりと観察しながら描けるので、手本という模範解答がある中で練習が行えていました。しかし、練習タイプ2(真似)からは模範解答が物理的に存在しない難易度の高い練習となります。なぜ模範解答がないかというと、「転写」と「真似」という言葉からしてそれぞれ「表面のコピー」と「内面のコピー」と解釈できます。表面は根気よく観察すればいくらでも模範解答に近づけるのに対し、内面は目に見えない領域なので観察するにしても憶測や解釈によって補完せざるを得ないからです。

そして内面というのは参考にした上手い絵の作者の思考過程ということになります。練習タイプ2(真似)では練習タイプ1(転写)と同じように外部記録から手本を選び出して描き写すわけですが、ただ「転写」するだけでは機械的な描画技術が身につくだけのところを、もう一歩踏み込んで思考過程まで作者に成り切って「真似」することで上手い絵を描くコツを読み取るという練習に発展させます。

ここでいう「上手い絵」というのは客観的な評価なので誰にでも理解できる実在するモチーフで構成されており、上手い絵の作者は実在するモチーフの情報を取捨選択して単純化することで再現性を高めた描き方をしているはずです。そして「記号化」とは、再現性の高い描き方を考案するために実在するモチーフを構成する情報を削って単純化することです。つまり作者が意図して使っている「記号」を読み取ることで自身のお絵描きに使える武器を増やそうというのが練習タイプ2(真似)の目的です。

ただ、作者の意図を読み取るという作業は、言うまでもなく憶測と解釈で補完する以外に結論を出せません。どれだけ丁寧に観察しても思考過程が完全一致したことを証明することは不可能です。あくまで「おそらく作者はこの部分をこういう記号で描いているに違いない」と自分で納得できる発見があれば十分です。作者の思考から情報をサルベージし続け、見つけた記号の使い心地を確かめ続け、キリのいいところで自分の感覚によって結論を出すしかありません。

まず練習タイプ1(転写)物理的に存在するものを観察して結論をだせるので「具象的」な練習です。それに対し練習タイプ2(真似)目に見えない自分の感覚で結論を出すので「抽象的」な領域での練習と分類しています。抽象的なものには「映像記憶」や「言語」などがありますがいずれも物理的に存在できないもので、それら目に見えないものの存在を実感するには、脳内に想起されたものの雰囲気を感じ取るしかありません。その想起された雰囲気という抽象的なものを人に伝えるためには、絵に描き起こして物理的に具象化するか、それと同等の情報量を言葉で用意する必要があります。お絵描きに才能は必要ないとは言いましたが、それは現段階では「良い絵」を描くことを保留にするという意味であって、しかしながら「上手い絵」が描けるようになるためには憶測や解釈で補完する感覚を磨くことは必要ではあります。具象領域で行う練習は練習タイプ1(転写)しかありませんが、抽象領域で行う練習は練習タイプ2~4と複数あります。ですが、具象領域でできるお絵描きは機械的な範囲に限られるので、自由なお絵描きをするための上達がしたいなら抽象領域に切り込んでいく根気が必要です。

第1節 言語化フィルタ

練習タイプ2(真似)

具象領域から抽象領域に移行するには言語化フィルタを通す必要があります。練習タイプ2(真似)では憶測と解釈による補完を行うということは、全て言語による意味付けやパターン化をするということです。例えば、三角形を見たときは「三角形」という言葉を浮かべ、六角形を見たときは「いち、に、さん、し、ご、六角形」と認識し、窓からスズメを見たときは「木の枝にスズメが3羽止まっている」と論理立てると思います。もし言語としてではなく見えた通りの映像として認識できるとするならば視界に映るもの全てが意識的に見えている必要がありますが、残念ながら人間は物体をピンポイントに注目することでしか認識できないし、何より人間の記憶力では映像を精密に記憶していられるのは一瞬程度なので、結局風景を認識するためには言語化するはずです。人間の映像記憶力は乏しいので、その代わりに言語による認識を発達させたとされています。そもそも何か風景を見たときにボーッと眺めるだけで何も考えずにいられる人がいるでしょうか。何かしらの文章を脳内で垂れ流しているはずです。何も考えない状況など惚けているか瞑想でもしない限りあり得ません。

映像で記憶する人、言語で記憶する人

上手い絵を見たときに「かっこいい」や「かわいい」や「リアル」と言語表現するのは、その絵の細部の分析ではなく、その絵に含まれる多くの情報の積み重ねによって全体的に何が表現できているかを言い表すものです。つまり、「かっこいい」と感じた絵を分解していくと「かっこいい」絵を描くための記号を発掘できるということです。細かい部分だと「髪の毛先から描き始めると形が整う」や「服のシワの線を最小限にするとアクションの導線になる」や「全身のアタリを一本のS字曲線で描くと動きに統一感が出る」といった感じです。これは具象的に存在する実物や画像を観察して、それを抽象的な言語に置き換えることで、体系的かつ履歴を残しながら情報を分析できるようにする下ごしらえみたいなものです。言語というのは全人類の共通概念なので、言語化さえできれば他人と共有できるようになる、つまり理論化して再現性を獲得できるということです。

ただし、言語というものは実在するものを抽象的に規定するため、言語化した瞬間にかなりの情報量が削ぎ落とされる欠点があります。それこそ絵の輪郭線の軌道を数値座標で表記でもしない限り、言語から再現される絵は描画者の解釈によって異なるものとして構築されてしまいます。言語化という作業は成功率が低いということをまず理解してください。

情報を削ぎ落とさない言語化

また、言語化フィルタは4つの機能で構成されています。まず1つ目の「知識と照合」は、すでに習得している記号や、一般的にどのような記号として使われているか、といった知識によって言語化するもので、そのとき分析している記号を即座に言語化できたり、そこから相対的に判断したりします。2つ目の「既存の理論」は、記号のように個人的な解釈を含まない、幾何学や解剖学や認知心理学といった科学方面の理論を利用して言語化するもので、主に透視図法や解剖図や錯視などの原理が使われていることが分かることがあります。3つ目の「作者の意図」は、これまで説明してきた通りで、手本にした上手い絵の作者が何を目的にそのような描き方をしているか、これまでの作風の傾向から読み取れるものはないかなどを推測します。4つ目の「自分の感想」は、鑑賞者視点からの見え方のことなので、その絵が良いと思った根拠は何か、どの部分が上手いと思ったか、全体的にどう形容できるか、というような「添削・微調整」と似た思考を行うものです。言語操作フィルタを通す段階で、持てる知識や感覚を総動員してできる限り言語化しておかないと、次の記号化の工程の成功率が低くなってしまいます。まずはこれら4つの基本的な機能を使って言語化作業に慣れておきましょう。

言語化フィルタの4つの機能

第2節 記号化

おそらく練習タイプ2(真似)の中で最も重要なのが「記号化」という工程です。記号の例を挙げると、上手い絵を描いた作者の思考を憶測と解釈で読み取って言語化したもの、実写画像をスケッチしてみてそれと分かる程度に情報を削減した描き方、過去に描いた自分の絵の上手く描けた根拠、など。記号化の工程とは、視覚情報を言語情報に変換し、さらに絵を描くための技法の説明文に書き換える工程です。

言語化と記号化の違い

前回の記事の具象領域の解説でも述べた通り、絵を描くための技法を考案したり、実用性を検証する練習では数をこなす練習をしないわけにはいきません。一度練習した程度では重要な情報の見落としは必ずあるはずですし、正しく記号化したつもりでも思い込みで誤解している可能性もあります。これから習得しようとしている記号の実用性を検証するためにも、実際に何度も記号を用いた絵を描いて違和感や無駄な情報を排除する作業が必要です。そう考えると、抽象領域で最初の工程で記号を洗練させておかないと、精度の低い練習をする羽目になるわけです。例えば、この練習タイプ2(真似)の次のステップは練習タイプ3(試し撃ち)に進みますが、試し撃ちする記号(試作品の銃弾的な)に不純物が多いと命中精度が下がるというのは想像できるかと思います。だからこそ記号化の工程は最重要と考えます。

この記号化という作業はお絵描き上達の要です。絵は記号の組み合わせなので、習得している記号が直接に絵のクオリティに左右します。そして記号の種類もかなり多いため、覚えるためには適切な知識体系を用意しておく必要があります。それについては最近『純粋理性批判』で知った、認識した物事が何であるかを判断する「悟性」という機能のカテゴリーを参考にしていずれ作り直す予定です。お絵描きのメカニズムに元々ある「カテゴライズ」という項目は「悟性」と互換性があるので上手くいくと思います。

第3節 印象抽出(シルエット)

印象抽出(シルエット)」の工程は、お絵描きにおいて最も難しく、集中力を要し、消耗に耐えかねて妥協してしまいがちな工程です。この工程は脳内に浮かんでいる映像の印象を抽出してそのシルエットをスケッチするものです。しかし、脳内に浮かんでいる映像という、今にも消えてしまいそうな曖昧なものを描き出す行為に掴み所がないことは言わなくても分かると思います。視覚情報を言語化フィルタに通す工程ですら不確定要素が多いのに、そこから改めて不安定な脳内イメージから絵という視覚情報としてアウトプットするので確実である保証がないのは仕方がないことです。そのため「印象転写」や「印象描画」と呼ぶわけにはいかず、できるだけ美味い(上手い)エキスを絞り出すようなイメージで「印象抽出」と呼んでいます。そして、人間の映像記憶力で細部まで精密にイメージし続けることは酷なので、まずは絵の土台となる構図を決める「シルエット」に集中して描画しようというわけです。

しかも、練習タイプ1(転写)の時のように外部記録の手本画像と自分のラフスケッチを比較して完全一致しているかどうかを確認する、という手段は練習タイプ2(真似)には通用しません。なぜなら、描画したシルエットが意図した印象通りに描けたかどうかを判断できるのは、元の印象をイメージしている自分自身の映像記憶という吹けば飛ぶような手本です。その映像記憶を維持しながら印象を丁寧に抽出するのに精神力を必要とするため、脳が疲れてきたら妥協して先入観や手癖で楽をし始めてしまうのです。印象抽出の工程は、人間のスペックからして描画精度が不安定だと分かりきっているのに、その精度を評価する手段すら不安定という、間違いなくお絵描きの鬼門です。

では、脳内イメージとスケッチの一致具合を確かめる具体的な方法とは何か。この方法には言語は一切絡みません。脳内にぼんやり浮かんでいる印象と、スケッチしたシルエットを交互に認識して、意図的な線であるという納得の念を感じ取るという方法しかありません。このときの脳内イメージというのは、上手い絵を見た時に感じた印象を言語化フィルタに通して捻出された試験的な記号を定義している言語によって想起された映像のことです(練習タイプ3の場合は映像記憶)。例えば、人物画を描こうとして「胴体の正中線は大げさにS字曲線にする」とか「分かりやすい演技にするため手足のシルエットを胴体のシルエットに重ねない」という記号からポーズを考え、そのとき脳内に浮かんでいる人物のポーズが元となる脳内イメージです。そしてこの脳内イメージをキャンバス上に投影しながら大まかになぞって描くのが印象抽出されたシルエットとなります。この時点では絵として完成されている必要はなく、スケッチしたシルエットから何の絵の土台なのか分かれば印象抽出は成功です。とにかく「これこれ、イメージしてたのはこの感じ!」と納得いくまで何度も描き直してください。

理屈による評価と感覚による評価

余談です。先ほどの記号化の項目で、抽象領域の最初の工程である記号化の精度をできる限り高めておかないと非効率な練習になってしまうと言いました。そして、その次にくる印象抽出は描画作業の最初の工程として絵の土台を整える意味があるので、ここで描いたシルエットが予定していた完成図との誤差の最小値(これ以降誤差は広がるばかり)を決定するため重要な工程です。言語化の要である「記号化」、描画作業の土台となる「印象抽出(シルエット)」、前回の記事で解説した練習の成功率を評価して履歴を取る「添削・微調整」、全て練習タイプ2(真似)を行うにあたって大きな区切りとなる工程です。手本を言語化する「抽象化」、脳内イメージを描画する「具象化」、描画したものを手本として扱えるようにする「メディア化」という「三大変換作業」と言っても過言ではないかもしれません。

三大変換作業

第4節 言語操作フィルタ

まず言語操作フィルタとは言語化フィルタの逆方向の機能です。つまり、様々な手本から学び取ってきた記号を、今度は言語から絵に変換する工程です。この一つ前の工程の印象抽出で既にシルエットが描き出されていますが、このシルエットを土台にして上乗せしていく情報を選ぶ工程とも言えます。正確には、この次の「補正・誇張」の工程で清書をするための下描きをどのようにするかという計画を立てるのが目的です。

ここからは感覚に頼るのは極力抑えて、なるべく記号化した描き方に従うことで新たな課題を発見しやすくなります。課題の発見も言語で行うので、もし記号の通りに手順を踏んで上手く描けなかったのならその記号に不備があるということです。そういった改善すべき課題を確実に潰すためには、その場限りの感覚で描いてしまわずに記号に忠実に従って描くべきです。

余計なことをしない練習方法

ちなみに、言語操作フィルタ印象抽出補正・誇張の間に挟まれているのには理由があります。何にも縛られずに自由に描きたいところですが、脳内イメージはとても不安定で、言葉一つで簡単に印象を上書きしてトランスフォームしてしまうような代物です。ふと頭をよぎった別のイメージによってあっさりと崩されてしまったり、ふと思い浮かべた言葉から連想できるイメージからも影響を受けたりします。そのため印象抽出は言語操作フィルタを通す前に済ませておく必要があります。印象抽出の前に言語操作フィルタに通すと土台が無いまま他のパーツを積み上げてしまうため、重心や骨格に違和感のある絵になります。もしかしたら明確な脳内イメージを持たずにただ記号を組み合わせて絵を描く行為を「先入観で描く」というのかも知れません。

あたかも改ざんされているような言い方をしましたが、ただ悪影響があるだけではなく、もしこれが意図的に影響を与えられるものだとしたら、それはつまり脳内イメージを言語によってコントロールできるということになります。より明確な意図を絵に反映させるために微調整する場合、追加で与えたい印象を表す「細く」「丸く」「柔らかく」などの形容詞によってディテールの形状や質感を操作したり、数値制御的な「右寄り」「1/2」「一致」などの具体的な説明によって寸法や位置を操作したり、「もっと」「ササッと」「薄っすら」のような感覚で印象を操作したり、それこそ言語化しておいた記号を活用したりして、脳内イメージの印象を抽出したシルエットを土台に、視覚的に欲しかった印象を上塗りするようにします。

では具体的にどういう操作を行うか。言語化フィルタと同様に、言語操作フィルタは4つの機能で構成されています。まず1つ目の「形容詞」は言葉の通りで、言語化フィルタの段階で完全に言語化しきれなかったニュアンスを雰囲気だけでも表現して言語操作することが目的で、ある意味救済措置のようなものです。形容詞の代わりに擬音が役立つことも多いです。2つ目の「数値制御」は、言語化フィルタの「既存の理論」によって言語化したときの情報や、建築物や車などの寸法がパースに乗ったときにどれ位の長さに見えるかなど、主に被写体固有の寸法形状が任意のアングルでどう変形するかを幾何学的理論に従って描画するための言語操作です。3つ目の「アタリ線」は、端的にいうと記号を再現するための描画線群のことで、記号を言い表す文章全てを視覚化したものとも言えます。そして、この作業のことを「ディテールを描き込む」と言いい、彫刻で例えるなら、印象抽出(シルエット)の工程でがっつりとミノと木槌で削り出しておき、その大まかな形状からディテールを彫刻刀で彫るための目安としてアタリを付けるというイメージです。4つ目の「プリセット」は、すでに習得した記号を使用するもので、これは練習タイプ3(試し撃ち)をある程度経験しているという前提の機能です。欲しいイメージを確実に再現できる記号のことをプリセットと呼び、根本的には記号と同義ですが、実用性やカテゴリが検証済みという情報が添付されているところが異なります。

言語操作フィルタの4つの機能

「言語操作」という考え方の成り立ちにも少し触れておきます。お絵描きのメカニズムに言語操作フィルタという工程を組み込んだのは、以前の記事で行った「うろ覚えポケモンかけるかな」という、うろ覚えのまま模範解答を目指すという実験で「言語操作」という現象を経験したからです。言語操作とは言語による脳内イメージの操作のことで、思い出せずに脳内イメージにモヤがかかった部分にとりあえずの何かをモンタージュしてみたり、描こうとしているポーズの納得いかない印象を大胆に動かしたりすることを指します。この実験のときはときはうろ覚え状態で印象抽出していたので、シルエットを描く段階で「コレじゃない感」の原因が分からず、それを探り当てるために形容詞や擬音を使って手当たり次第に言語操作を施していました。うろ覚えの場合は形容詞や擬音しか使えませんが、手本を見ながらの練習やオリジナルの絵を描いているときにはもっと選択肢が増えます。うろ覚えだから「コレじゃない感」として発現していた誤差が、手本という模範解答との相対的誤差として視認できるようになるからです。それでもなお、手本画像などの模範解答があるのに「コレじゃない感」が発現した場合、それは描画工程にバグがあるということでアタリ線の組み合わせなどで機械的に改善を施せます。そのため、言語操作という工程をお絵描きのメカニズムに組み込むことで描画精度を向上できると考えました。

ロコモコ現象

実際のツイート @oekaki_hoho_ron

かなり難しいですが、言語化フィルタや言語操作フィルタを的確に機能させるには、そのような思考に慣れることが重要です。「慣れる」とは、ある一定の動作を考えなくとも実行できるよう「手続き記憶」として覚えることです。また、脳科学の分野の実験では、例えば左右の手で異なるリズムを刻むといった脳で処理しきれない複雑な運動でも、コンピューターによる電気信号で筋肉にリズム感を刻み込むと、それを手続き記憶として覚えることが可能となり、今度は脳からの信号でもリズムが刻めるようになるという結果が出ているそうです。つまり、理想的な実践形態でなくとも、擬似的、部分的に実践する練習を繰り返すことで最終的に全て同時に処理できるようになるということです。これは運動神経についての例なので思考回路の方にも同じ結果が出るかは分かりませんが、記憶として身につけるという点においてはどちらも同じです。言語化や言語操作に成功したかどうかを判断する模範解答はないため、一度は絵として描画したものを客観的に観察し、機械的に誤差を割り出し、言語化や言語操作の思考過程に問題点はなかったか自己分析するしかないというのは、抽象領域での練習においては宿命のようなものです。とにかく、まずは脳内にある映像にモデリングの修正を施す感じで、言語による形状説明で脳内イメージを操作する感触を養いましょう。

第5節 補正・誇張(ディテール)

この工程は言語操作フィルタを通過しているので具象領域に所属します。脳内イメージの印象を抽出したシルエットという曖昧なスケッチを基礎として、そこに言語化フィルタによって記号化しておいた具体的な情報を丁寧に上乗せすることでディテールまで描き込む工程です。欲しい印象を追加する「補正」や、見せたい部分を強調する「誇張」を施すことで、作者の意図をより明確に絵に反映させることができます。一般的な「楽しいお絵描き」というイメージはこの工程を指していると思います。

ディテールを描き込むときは、記号化された描画手順に従う、実在するモチーフからの引用する、などの方法を取ることが望ましいです。もしここで好き勝手描き込むとしたらそれは自由で楽しいことと思いますが、実用性が保証された「検証済みの記号」を使うことで再現性を高めることができます。前回の記事の一番初めで述べた車のハンドリングの例え話で言ったように、知らないジグザグ道を時速100kmで走るよりも事前に地図を覚えてハンドルを切る方が失敗しにくいし疲れにくいはずです。

ちなみに、上手い絵を真似することで記号の実用性の検証する作業は練習タイプ2(真似)に該当し、検証済みの記号でオリジナルの絵を描くことは練習タイプ3(試し撃ち)に該当します。いずれの工程も、記号に従って描いておくことで添削・微調整が機械的に行えるようになります。できる限り記号で描くことを推奨しているのは、再現性が高く安定して描けるという理由に加え、お絵描きのメカニズムにおける全体のスムーズな思考の流れを考慮しているからです。

第6節 想起サイクル

次は記憶のメカニズムが深く関わる工程です。「印象抽出」でシルエットという土台を整え、「補正・誇張」でディテールを描き込む、この一連の流れを「想起サイクル」と呼びます。Wikipediaの「記憶」のページには「情報を思い出すことを想起、起憶という。情報科学的な視点から検索と呼ばれることが多い。想起のしかたには以前の経験を再現する再生、以前に経験したことと同じ経験をそれと確認できる再認、以前の経験をその要素を組み合わせて再現する再構成などがある。」とあります。3つの想起の仕方を算数に例えると、「再認」は数式の答えが正解かわかること、「再生」は数式の答えを導き出しかたを知っていること、「再構成」は数式の意味を理解して最適解や応用例を導き出せること。お絵描きに例えると、「再認」は上手い絵の上手い部分を発見できること、「再生」は上手い絵の構造を理解して再現できること、「再構成」は上手い絵の構造を分解して取捨選択して別の状態を構築できること。

3つの想起の仕方の違い

その中でも「再構成」は特にお絵描きに必要な技術を表しています。Wikipediaの「以前の経験をその要素を組み合わせて再現する再構成」という説明を引用すると、「以前の経験」とは「脳内イメージ」のこと。「要素」とは「記号」のこと。「再現」とは脳内イメージから抽出した「シルエット」を土台にして記号を使って「ディテール」を描き込むこと。この様に考えると科学的な根拠のあるお絵描きのメカニズムの原型が見えてきます。絵を描くのは人間で、人間は脳で考えて行動するもので、思考は記憶を組み合わせて行われるため、お絵描きには記憶のメカニズムが深く関わるのは必然です。ちなみに、3つの想起のしかたをお絵描きのメカニズムに例えると、「再認」は言語化フィルタ、「再生」は記号化、「再構成」は練習タイプ2~4に該当すると考えることができます。

この想起サイクルは、お絵描きのメカニズムにおいて心臓部とも言える工程です。まずお絵描きという行為は、記憶や記号を意図的に組み合わせて鑑賞者に特定のイメージを想起させることが目的です。そうすると、鑑賞者が絵を見て何を想起するかという流れを逆に辿れば、その絵に組み込まれている記号群に行き着くということになります。さらに記号化とは、手本を観察して上手い(と感じた)絵の構造を言語化することです。このときの「絵を鑑賞」することを「手本を観察する」ことに見立てると、絵を見る側の想起するイメージと、絵を描く側の言語化の作業は、似た構造を持っていると考えることができます。作者と鑑賞者の双方の視点で決定的に異なるのは、作者は外部記録を言語化フィルタに通して記号化する能動的な想起(再構成)、鑑賞者は絵に組み込まれた記号からリアリティを感じる受動的な想起(再生・再認)、つまり作者は鑑賞者の思考をシミュレートできるということです。

絵を描く側と見る側の視点の違い

ところで、作者と鑑賞者がある特定の文脈で概念を共有していると考えると、お絵描きという行為はまるで単なるコミュニケーションであると思えてきました。言語によるコミュニケーションではイメージを共有することは難しく、「すごい」や「大きい」や「こんな」などといったニュアンスを表現しながらイメージを構築していきます。しかし、いくら熱弁しても相手がどのように解釈したかは不明瞭で、これまでの自分の経験則で相手のリアクションを分析して判断するしかありません。これは分析サイクルの機能とほぼ同じです。想起サイクルとは、物事を解釈するときの思考過程を指しているということです。

これはまだ詳しく書きませんが、想起と解釈を同義として扱うのは『純粋理性批判』の「悟性」という概念を想定しているからです。人は物事を「感性」「悟性」「理性」によって段階的に認識し、それが何かという判断は悟性によるカテゴライズで行います。すると、何かを想起する過程で、そのとき活性化した記憶が何なのかを認識するときも同じ判断がなされるはずです。認識とは意識的な状態になることで、解釈とは認識したものを判断することで、想起とは記憶が活性化した状態のことです。故に「想起」と「解釈」は悟性によって判断を行う同類の概念であると言えます。

第7節 発見・発明

ここで言う「発見・発明」とは、練習中の思いがけない収穫のことです。想起サイクルとは、実用性を検証済みの記号を使ってラフスケッチまで仕上げるというのが基本的な練習方法ですが、そのスケッチの途中でもっと良くなりそうなアイデアを閃いたとしたらそれを検証しないと勿体ないです。ここまでの流れが「発見」です。そしてその閃きが一体何なのか検証するため、ラフスケッチの作成を中断して、忘れない内に言語化フィルタを通して記号化すべきです。記号化の手順は練習タイプ2(真似)のときと同じで、本来なら外部記録として管理していた上手い絵を手本にしていたのを、ここでは偶然や閃きで上手く描けた自分の絵になっただけです。そして閃きが実用的な記号として形にできたときに「発明」できたということになります。

発見とは

ちなみに、他人が描いた上手い絵から記号を抽出するより、自分で閃いたものを記号化する方が簡単です。他人の絵からは憶測や解釈による補完が必要ですが、自分の閃きであれば既に思考の一部始終を見ているため後は言語化するだけで完了します。上手い絵がなぜ上手いかを深読みしなくてはいけないのに対し、上手く描けたという経験を言語化するだけ、簡単ですね。そうすると、より多くの情報を残したままの実写の資料を観察しているときの方が発見・発明の頻度が高いはずです。練習中も常に探究心旺盛であれば、新しい記号を発明して独自の画風を編み出せるかもしれません。ただヌードポーズ集を転写する練習からでも新たな記号を入手するルートはありそうです。

今回のまとめ

次は練習タイプ3(試し撃ち)について文章化します。その中でも「カテゴライズ」という項目が、『純粋理性批判』の「悟性」の説明で登場する「カテゴリー」とどれほど共通性があるかは未検証なので、どういった結果がでるのか楽しみです。おそらく以前Twitterで考察した「素体デザイン」や「素材モンタージュ」という考え方が役立つと思います。それに、練習タイプ4(思いつき・機械的)の文章化も面白い発見があるはずです。これは単なるウォームアップ目的の練習のことで、日課として取り入れやすいメニューになるものです。お気楽なお絵描き、まさにラクガキを練習に取り入れることになると思います。練習タイプ3も4も比較的に自由度の高い工程で、自分はまだこのレベルに達していないからあまりやったことがない練習です。未到達の領域はやっぱりワクワクしますね。

練習タイプ3(試し撃ち)考案の履歴 練習タイプ4(思いつき・機械的)考案の履歴

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