お絵描きホーホー論

理屈で絵が描ける事を証明する

右脳・左脳で使い分ける人体デッサンのアタリ線の描き方

今回は模写するときの人物画のアタリ線の考え方、実践編です。前回に立てた仮説に則って実際に人物画を描いてみて、いろいろと修正を加える内容となっています。厄介なことに技術的ではなく心理学的な方面にまで手を出してしまいましたが、なんとか言葉に起こせました。

まず始めに前回の人体デッサンの解剖学的なアタリ線の描き方の記事で立てた仮説とやらの復習と、今回利用した資料の紹介からです。前回は色々な種類のアタリ線を目的別に分解して、自分の都合のいいように再構築した描き方手順というものを考案しました。といっても今回かなり改善される運命にあるので走馬灯のように流し見でもして下さい。

前回の仮説

  • 探るようにラフ画を描く
  • 背骨ラインを描く
  • コントラポストを考える
  • アイレベルを見つける
  • 地面のパース線を描く
  • 三分割法で上半身と腰の輪郭を描く
  • 胴体の厚みのパース線を描く
  • パンツを描く
  • 足の裏面の方向を描く
  • ギザギザ法で脚のラインを一筆で描く
  • 縫工筋→膝骸骨→脛骨のラインを一筆で描く
  • 鎖骨・首回りの筋肉・後頭骨の縁のラインを描く
  • 僧帽筋・三角筋を描いて肩幅を決める
  • ギザギザ法で腕のラインを一筆で描く
  • 手首の角度を決める線を描く
  • 顔の十字線を描く
  • 後頭部から頭蓋骨を描く

参考資料

  • 『やさしい人物画』/A・ルーミス著 /北村孝一訳
  • 『メール・ヌード・コレクション(みみずくアートシリーズ)』/視覚デザイン研究所
  • 『リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座』/西澤晋
  • 『POSE MANIACS』(ヌードモデル資料サイト)

今回は模写練習を行うにあたり、大量のヌードモデル資料を必要としていました。こんなときに役立つのはご存知『ポーズマニアックス』です。このサイトは通称30秒ドローイングと呼ばれてますが、今回、時間制限は使用していません。これまでもあまり時間制限を使ってこなかったのですが、おそらく何の方法論も持たずに速描きしてもただ雑になるだけだと以前から思っていたんでしょう。だからこのサイトを利用するときは時間制限のない『ランダムポーズ』モードでクロッキーしています。

ポーズマニアックスだけでは細かい筋肉や、ポーズに筋肉の形状の変化を観察することが出来ないので、『メール・ヌード・コレクション』も利用しました。この写真集に載っているのは、立ちポーズとか、重いものを持っているとか、激しい運動の瞬間とか、古典芸術のポーズの再現とかですね。また、写真のコントラストが強めなので、筋肉の陰影がハッキリ見えて描きやすいと思います。ポーマニと違うのはモデルに表情があるところです。表情もエネルギーの一種ですから、そこまでしっかり観察するといいと思います。

実践その1 〜実際に描いて気づいた改善点

とにかく描かない事には何も始まらないので試行錯誤の過程で描いたクロッキーを掲載します。それを描いている最中に何を考えていたかというのを画像にキャプションとして挿入しているので、考察の材料として使って下さい。

前回立てた仮説の実践

始めの内は前回考えた仮説を律儀に実践していたのですが、どうも役に立たないアタリ線が含まれているように思えてきました。画像を見て思ったかもしれませんが、だんだんと改善を加えている部分があったり、メモが書かれていたり、随時変更を加えながら練習しています。なにせ前回は完全に座学としてアタリ線について調べただけなので、実際に枚数を描いてみると弱点が露呈してくるのは当然のことなのです。そのための今回の「実践」の記事というわけです。

では具体的にどこを改善したかというと、とにかく使用頻度が低いアタリ線を律儀に描かないということです。前回の記事の段階では、アタリ線を描けば描くほどデッサンが安定すると思っていたのですが、位置決めを目的とするアタリ線は非常に理屈的で、つまり先入観が混入しやすいということになります。知っていると思いますが、先入観があるとパースのかかった人体を描きたいのに、奥行きによって縮小していく線の短さに堪え兼ねて実物より長く描いてしまう、なんてことが起こってしまいます。アタリ線を描くということは、デッサンの方向性を明確にするという長所もありますが、その描き方に先入観が残っていると間違った方向に確実に進んでいってしまいます。滑稽ですね。

そうならないために、必要のないアタリ線を選別し、必要最低限のアタリ線に絞って少数精鋭隊を編成します。物事を成功に導く原則は、道具、手段、環境など自分が利用するものを熟知し、最高のパフォーマンスを引き出すことです。あまり使わないけどとりあえず描いてみようという適当な考えはいつかボロを出してしまうような気がします。では、前回の記事で立てた仮説の16項目の手順のうち、必要ないと思ったものをザックリと削ります。

Before

  • 探るようにラフ画を描く
  • 背骨ラインを描く
  • コントラポストを考える
  • アイレベルを見つける
  • 地面のパース線を描く
  • 三分割法で上半身と腰の輪郭を描く
  • 胴体の厚みのパース線を描く
  • パンツを描く
  • 足の裏面の方向を描く
  • ギザギザ法で脚のラインを一筆で描く
  • 縫工筋→膝骸骨→脛骨のラインを一筆で描く
  • 鎖骨・首回りの筋肉・後頭骨の縁のラインを描く
  • 僧帽筋・三角筋を描いて肩幅を決める
  • ギザギザ法で腕のラインを一筆で描く
  • 手首の角度を決める線を描く
  • 顔の十字線を描く
  • 後頭部から頭蓋骨を描く

After

  • ラフ
  • 背骨ライン、胸ライン
  • コントラポスト
  • 鎖骨ライン
  • 三分割法
  • ギザギザ法
  • 縫工筋〜膝骸骨〜脛骨
  • 後頭骨ライン
  • 顔の十字線(仮面)

このとき、どういった基準で訂正を加えたかというと、それは脳の使い方です。いくら使用頻度が低かったとはいえそれはただの偶然かもしれないので、ちゃんと除去する基準となる理由は考えます。『脳の右側で描け』という本をご存知でしょうか。この本は、絵を描くときに人間の脳のどの部分が、どのように作用して、どのような結果を導くかを理論的に解明しているらしいです。まだ読んだことはありません。しかし、聞いた話によると、脳は左右でそれぞれ得意分野を持っており、左脳は理屈・演算・思考を得意とし、右脳は観念・直感・無意識を担っているとのことです。

それを踏まえた上でインターネットでこの本の様々な感想を調べて見たところ、「絵を描くときは右脳を使用し、左脳を使って絵を描くとデッサンが崩れる。しかし右脳は模写することに適しているだけなので、イメージで絵を描くという以前に、全く描けない人がまず描ける段階に進むための本である。」という結論に至る人が多くいました。確かにそのことには一理あります。しかし、右脳で絵が描けるようになってから以降は右脳を使わなくなるわけではありませんし、むしろ描けるようになったからこそ自分の考えを作品に繁栄させる余裕も生まれる、つまり上手くなるにつれて再び左脳(右脳ではなく左脳です)で描く必要が生じてきます。すると本当の勝負は『脳の右側で描け』を読んで右脳で描くという概念を得た後で、左脳と右脳を使い分ける技術を追求しはじめてから、ということになります。

何が言いたいかというと、この本を読まずに絵が描けるようになった人も一旦この本で「右脳で描く」という概念を基礎教養として学んでおくことで、いつか壁にぶち当たったときに自分が良からぬ先入観で絵を描いていないか、ただの慣れで描いてはいないかを、客観視点から分析することができます。客観視は人の無意識を発見しますから。要するに、もう自分には必要ないとか言わずに読む価値あるんじゃね?ということです。これは絵を描くことだけに限らず、世界観のデザインや設定、ストーリーを考えるときにも同じ事が言えます。何事にも客観的な視点を構えることは色々な発見に繋がるので忘れないようにしましょう。『脳の右側で描け』のすごいところは「右脳で描くと良い」などという誰も思いつかないような概念を発表したことにあります。それを知りさえすればたとえ証明されていなくても技術として活用することはできます。ただこの本は心理学的側面が強いので信頼性が弱いと思われるきらいがありますが。我がHP『お絵描きホーホー論』では技術的側面を強化していこうと思います。

脳の右側で描くということについて

まだ読んでもいないベティ・エドワーズ著の『脳の右側で描け』を参考(?)に右脳と左脳の役割に適したお絵描きについて考えてみましょう。まず何故こんなにも右脳を推しているのかというと、先ほども書いたように右脳は直感で物事を考えるのが得意なので、それはつまり先入観が存在しないということになります。例えばパースがかかった人物をデッサンするのに、左脳で描くときは、人体の正面図というものを熟知しているため、その先入観が邪魔して、奥行きによって線が短くなっている部分がうまく描けないということがあります。右脳で描くと、人体とか奥行きとか無関係にただそう見えるからその通りに描く、ということができるわけです。つまり、絵が下手な人は先入観でしか物事を判断できないということで、観察力が無いというのはそういうことなのです。まさかとは思いますが、先入観でしか物を見ない人が「そうか自分が絵が下手なのは左脳で描いているからなのか」などという閃きを発揮するはずもないので、この『脳の右側で描け』は重宝されているんですね。

では具体的に右脳を使うとはどういうことなんでしょうか。知りません、はい。なので自分で考えました。ただネットで調べたときに便利な単語を見つけたのでそれを使って話を進めます。その単語とはLモードとRモードです。言うまでもなくLとかRというのはレフトとライトのことで、左脳を使っている状態と右脳を使っている状態のことになります。つまり、絵が下手な人はLモードにギアが入って錆び付いてしまった人なのです。絵が上手くなりたければRモードにギアチェンジしなければなりません。この使う脳の左右の切り換えが重要になってくると考えました。

ところで、もうLモードとRモードのニュアンスは掴めましたか? 意味の解釈に齟齬があるとヤバいので、ここらで右脳用語を定義しておこうと思います。あくまで「絵を描く行為」を前提とした独自の定義なので、正式な脳科学的な一般論とは関係ないものと考えて下さい。

Lモードとは、描いた絵の悪い部分を理屈的に探して修正するときの状態。また、完成図を意識しながらアタリ線を描くときの状態。活発に思考している状態なので、視覚的には見ているようで、実は認識出来ていない。

Rモードとは、見た通り、イメージした通りに機械的に線を描く状態。基本的に絵を描くときは常にこちらの状態になる。ただし、描いたものの善し悪しの判断はできない。視覚的に敏感な状態とも言える。

上に書いた通りだとすると、アタリ線を描くときは全てLモードというように思われるかも知れませんが、そういうことではありません。Lモードの定義で言っている完成図を意識しながら描くアタリ線というのは、より自分好みの絵にしようとする意思の元描かれるアタリ線で、その完成図に実物のモデルは存在しません。ではRモードのアタリ線は何になるのでしょうか。それは当然、モデルを模写するときの見たまま写し取るアタリ線のことです。実例を挙げると、背骨ライン、コントラポスト、三分割法、ギザギザ法etc…これら全てRモードです。これらはモデルのパーツの位置や角度を観察して描くものです。このようにアタリ線を描く段階で既にLモードとRモードを使用する可能性があるのです。そして、理屈で自分好みにしようとするLモードも、先入観に捕われず線を描くRモードも、絵を描く行為には描かせない状態です。つまり、絵を描くときにはLモードとRモードの切り換えが頻繁に行われるということです。

ここで着目するべきところは、各モードの特徴と、各アタリ線の目的に共通点があるというところです。それは理屈で描きたいLモードのとき、はたまた直感で描きたいRモードのときに、各モードに適したアタリ線が選択できるということになります。それはつまり右脳と左脳を自分の意思で使いこなしているということに他なりません。各モードと各アタリ線を目的に応じて使いこなせたとしたら、いくら心理的で曖昧な要素が含まれていようとも方法論を謳っても良いのではないでしょうか。ではアタリ線を目的別に分類してみましょう。

各モードと各アタリ線の関係

形状 Lモード Rモード 目的
間接位置
顔十字ライン(仮面)
後頭骨ライン
基準点や、ある面の方向など、位置を決める要素を表す。
リズム線 背骨ライン
コントラポスト
鎖骨ライン
ギザギザ法
エネルギーの流れの意識を方向付ける。ペンを動かす方向に一貫性を与える。
逆三角形
構成
三分割法
アウトライン
ラフ
輪郭で囲んだ領域全体のバランスを見る。
目的 描いた絵の悪い部分を理屈的に探して修正する。必要なときにLモードに随時切り替える。意図的に誇張するときなどもLモード。 見たまま、イメージしたままに線を描く。基本的に描くときはRモード。善し悪しの判断は出来ない。 -

上の表は、各アタリ線をLモードとRモードに分類し、さらに各アタリ線が効果を発揮する領域を3つに分類して、簡単にそれらの目的の説明をつけたものです。3つの領域とは、点、線、面という図形の性格にたとえて分類したもので、点は位置、線は長さや方向、面は面積が関係しています。上の表と照らし合わせてみると、「間接位置」は肩峰や大腿骨の付け根という「位置」を決めるアタリ線ですし、「背骨ライン」は胴体の「方向」、「コントラポスト」は肩やウエストや股の角度すなわち「方向」を、「ギザギザ線」は手足の「長さ」と「方向」を、「三分割法」は胴体の外形すなわち「面積」を表します。そしてこれらはRモードの目的に沿って使われます。

ところで、Lモードに分類されたアタリ線に新登場のものがあるので上から順に説明します。「弧」というのは手首などの位置を決める為に腕の可動範囲を考えるときの回転円のことで、人物にパースがかかっているときは正楕円に見えます。有名なダヴィンチのウィトルウィウス的人体図がありますね。しかし楕円がきれいに描ける人は滅多に居ないし、そもそも人間の腕自体がそんな正円状に運動することはあり得ません。つまり需要のないアタリ線ということです。次の「リズム線」と「逆三角形」についてはすぐ後で説明します。最後の「構成」については、かなり広い範囲をカバーしているアタリ線と言えます。言ってしまえば全体のバランスを見ることなのですが、要するに上手く描けているか、格好良く描けているかを判断するセンスと言い換える事のできる厄介なやつです。ちょっと詳しく話しましょうか。

「構成」の説明のためにルーミス氏の『やさしい人物画』を引用します。この本の「11章.頭部、手,足」のセクションでこんな事を書いていました。

“(略)しかし、あることがあって以来、大した苦労はしなくなった。構成を発見したのである。美しい顔というのは、必ずしも一つのタイプではないことがわかったのである。髪や肌の色、眼、鼻、あるいは口が問題なのではない。頭蓋骨における目鼻立ちの組合せが正常であれば、本当に美しくはないにしても、興味をひく、魅力がある顔ができる。(略)容貌のことは忘れて、構成と配置に注意してみることである。”(p163)

ちなみにこれは人物の顔についての話なんですが、この世に存在する万物の中で人間の顔だけが特別なわけはないので、この構成や配置の考え方は全てのものに通用します。風景写真にしても、家電製品にしても、人物のポーズにしてもです。つまり、これから描こうとしている人物が格好良く見えるイメージを持つことは構成の判断基準となりますし、既に描いてある人物がより格好良く見えるようにいかに修正するかを判断するのも構成が役立ちます。このように構成とはほぼセンスに依存している技術なので、アタリ線というよりは、Lモードのアタリ線の根底にある概念ということができます。構成って言葉は脚本を書くときにも使われますしね。その場合は起承転結の順番のことを言っています。どんなにありきたりな事件しか起こらなくて間延びしたストーリーでも、クライマックスで起きる事件の犯人を冒頭でバラしておいて主人公に犯人を追わせるストーリーにしたり、回想シーンをいれて主人公の思考を複雑に見せたりと、構成によって面白さが宿る映画もありえるということです。

一通り概念というものに明確な定義を与えてきましたが、どうでしょうか。何かを描こうと思ったときになんとなくアタリ線を描くことに比べて、明確な目標が立てやすく感じたりはしませんか? 例えば「よし、リズム線を描いたあとにコントラポストを描いて間接位置まで描いたら三分割法とギザギザ法を使おう」というように、描き始めから描き終わりまで想像できませんか? もし完成させるビジョンを持てたら絵を描くことに億劫になることはないと思います。とうとう「安定して人体デッサンするためのアタリ線の習慣化」の記事で言っていた、絵を描くときの不安の解消への道が見えてきましたね!!!

実践その2 〜アウトライン と リズム線の活用

これまでに書いたように、アタリ線の考え方もかなり変わってきています。下図は、経験して獲得した情報を知識にフィードバックし、そうして改善された方法論に則って練習したクロッキーです。

アウトラインとリズム線の模索

まずここで試行錯誤の中心に置いていたのは「アウトラインの角度の取り方」と「リズム線の有効活用」の2つです。前者はパーツの位置やポーズの角度を正確に模写する方法です。つまりRモードで描くやつですね。木炭デッサンなどでは、まず棒を持った腕を真っすぐ伸ばしてモデルを観察することは知っていると思います。あれは「背中の角度はどれ位傾いているか」とか「顔の真下に位置するパーツはないか」などを観察しているのです。つまりは平面視の技術ということですね。そして重要なアウトラインを始めは大まかに、次第に詳細に描き込んで形を整えていきます。一個の角材を少しずつノミで彫っていくような作業です。しかし今回は木炭デッサンするわけではないのでそこまで正確でなくてもいいです。ただ先入観で「背中はこれくらいの角度で立つものだ」とか「パースがかかっていない腕の長さはこれくらいだから〜」などという失敗を犯さないために行います。『ポーズマニアックス』の『ネガティブスペース』モードはまさにこの感覚を鍛えるものだと思います。

後者のリズム線はLモードで描くもので、これもルーミス氏の『やさしい人物画』を参考にした考え方です。一部引用すると、「6章.動きのある人物:回転とひねり」からは「”動きのあるポーズポーズの場合、「軌跡」を感じさせるものでなければならない。軌跡ということは、そのポーズの直前の動きがまだかんじられることだ、といってよいだろう。”(p95)」、そして「8章.バランス、リズム、素描」からは「”輪郭が外形と交差した線”(p131)」や「”輪郭が互いに一つになった「感」じがあれば、線の「共鳴」ができあがるのである。”(p131)」という考え方を自分なりに解釈しています。で、どういうことになったのかというと、リズム線とは、人物が持っている運動エネルギーが、安定感の要であるポーズの重心にどのようにまとわりついているかを可視化し、エネルギーが分散せずに圧縮に向かうイメージを掴むためのアタリ線という考えに至りました。リズム線の描き方についてはルールはなく、描く人自身が幻視したエネルギーの流れを紙の上に可視化するとしか言えませんので、上の画像を参考に自分なりのリズム線の解釈を考えてみて下さい。

螺旋丸の作り方

言葉では分かりにくいと思うので分かりやすい例を挙げますと、漫画『NARUTO -ナルト-』の主人公ナルトが師匠の自来也から必殺技の「螺旋丸」を伝授されるときの修行方法に例えます。螺旋丸とは、掌にチャクラ(エネルギー)を球体状に圧縮し、内部ではエネルギーの粒子が様々な方向に光速で旋回しているため、その球体を押し付けて球体を解放すると木っ端微塵に弾け飛ぶというものです。しかし不器用なナルトはチャクラをキレイに旋回させるイメージが掴めずにショボい球体しか作れません。そこで自来也が提案したのが、水風船を掌に掴んで内部の水をチャクラのエネルギーでかき回してみろ、というものでした。目に見えなかったチャクラの動きが水の動きと連動するためイメージが掴みやすくなり、見事螺旋丸を完成させたというストーリーです。螺旋丸の旋回するチャクラと、円盤投げをする人の運動エネルギーは同じようなものですね。そして水を包む風船と、人物のポーズの重心の存在は、まさにエネルギーが圧縮される領域というわけです。

実践その3 〜重心の求め方

これまでの実践練習でアタリ線の描き方については納得のいく形にまとまってきました。この時点でまだ不安に思う点は「人体と地面のパースの整合性」と「ポーズの重心」の2つを求めることです。前者のパースについてはすでに理論があると思ったので、勉強し直したときに考えようというわけで今回はスルーしています。後者の重心については、一般には常識的な範囲で感覚で描け、という位にしか言われていない気がしたので、何か独自の考え方を確立できないか挑戦してみようとしました。というわけで、クロッキーしたあとの絵を使って幾何学的に重心を見つけられないか、色々試しています。全てが正解ではないと思いますが、確実に答えに近づいたような気はしています。

幾何学的な作図による重心の求め方

基本的にはルーミス先生の『やさしい人物画』を引用して、「”片方の足や手は三角形あるいは長方形から飛び出してしまうこともあるから、これをあまり文字どおりに取るべきではないが、三角形や長方形の中心を通る線は、その両側がほぼ同じ広さであることを示している。”(p121)」という考え方に沿っています。しかしこの文章から分かるように、イメージはこうですが常識的な感覚で描きなさい、という程度にとどめられています。まあ、アホみたいに理屈を追求してみるのも一興、ということです。

数をこなす練習について

今回の試みで気づいた事は、枚数をこなすだけの練習は全く意味がないということです。以前にもヌードクロッキーを集中的に行ったことがあるのですが、せいぜい50体程度の量でも「しんどい」「つまらない」「やめたい」と苦労しました。それなのに終わったあとに見返してみると、確かに枚数を重ねるごとに安定してきてはいるけど、おそらくこれは集中的に練習をしたが故に「慣れた」だけなんだろう、と思わざるを得ないわけです。毎日これを続けないと必ず感覚を忘れて、再び下手な状態に戻ってしまいます。でもこんな練習毎日やる体力なんてありませんよね。慣れるのではなくて形として残ることが望ましいです。

一方今回も同じようなヌードクロッキーを行っているのですが、枚数をこなそうというつもり全くありませんでした。それよりも、考案したアタリ線の描き方を実践しながら数枚描いて、随時その方法を改善するということが重要でした。ときには次のクロッキーを行うまで数時間くらい手を止めて改善の必要性を考えたりしましたし、上手く描ける理由や描きにくい理由が分からなくて嫌になってサボったりもしました。しかしながら、なんとか納得のいく収穫は得られたようです。成長することを実感できることはなんという快楽なんだろうか。論理的に練習することの大切さに気づかされました。

それにしても相当量の文章を書いてしまったために内容を把握しきれない方がいるかもしれません。次回の記事は、これまで書いてきたことの再度全体を眺めながら考察する内容となります。まあほとんど書きなぐってきたので、本当にただキレイにまとめるだけという意味合いになりそうですが。

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