先入観と仲良くしながら絵を描こう | お絵描きホーホー論

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先入観と仲良くしながら絵を描こう

先入観と仲良くしながら絵を描こう

 以前から自分でも言っていることだが、絵を描くときに正確なデッサンを妨害するものとして「先入観」を敵視してきた。しかし、考え直してみれば「先入観」とは全く別の「何か」の知識のカケラなのではないかと思いついた。いま描こうとしている対象を説明するために、脳内に保有している知識の倉庫から部分的に共通概念を持った間違った情報を無意識に取り出した思考結果を先入観と言うのだろう。そうした場合、先入観を持ってはいけないと一蹴してしまっては根本的な解決にはならないと思う。この先入観の源泉を掘り当てて正体を認識したとき、初めて先入観を排除して正しい知識として身に付く。

 では、先入観の正体を分析する方法はどうすればいいのか。まず、絵のビジュアルは「曖昧な雰囲気」と「正確な認識」の二つの要素によって決まるとする。前者は絵そのものに対して感じるもので、「美しい絵」や「力強い絵」などの形容詞、または「懐かしい感じの絵」などと言い表して評価する部分のことである。後者は絵の中にあるものを個別に認識するもので、ほとんどの場合は名詞を使って「赤いニンジンの絵」とか「馬が走っている絵」というように具体的である。そして普段私たちが一枚の絵を見た時には「馬が赤いニンジンを追いかける力強い絵」というように認識される。この認識にはしっかりとしたストーリーがあって正確な情報であると言える。

 もしこのときに情報の欠落があった場合には「馬がニンジンを追いかける力強い絵」や「馬が赤いものを追いかける力強い絵」というように部分的に曖昧な評価しか下せない。すると、本当にニンジンを真っ赤に塗ってしまったり、異常に鋭利に尖った形のニンジンを描いてしまったりする。おそらく「赤い」という情報を正確に受け取らずに他の赤いもの、例えばリンゴの色と混同してしまったり、または「ニンジンは円錐型」という曖昧な記憶が原因で、数学の授業で習ったような幾何学的な円錐図形を参考に輪郭をデッサンしてしまったりするのだろう。

 このときの「リンゴのような赤い色」や「幾何学図形のように尖った円錐」などが、偶然一致した共通概念として正しい情報と置き換えられてしまった先入観の源泉ではないだろうか。これは無意識に行われるので絵を描いた本人は気づかない、もしくは違和感があるけど原因が分からないということになる。

先入観で描いた馬の脚

 つまり先入観とは、正しい知識を持っているのにも関わらず、それを知識体系の中から検索するための情報収集を怠るという観察不足の結果、検索に失敗したときに抱くものである。もしくは、そもそも知識を持ち合わせていないにも関わらず、それに似た情報を脳内入力補助機能が提示してきた「もしかして◯◯?」という言葉に惑わされて「Yes!」と言ってしまったときに抱くものである。言うまでもなく、思い込みをすることが悪いのである。絵を描くために観察力が必要なのは「正確な認識」をするために、脳内の知識の倉庫を充実させておくためなのである。以上が「先入観とは何ぞや?」という思いつきから生まれた考察である。心理学や脳科学などの専門知識があればもっと面白いことになるのではないかと思う。「先入観」のことをちゃんと理解して仲良くなって平和条約を結べば良い協力関係を築けると思うのだが。

執筆者

村上豪一

 理論化家。森羅万象を理屈でしか捉えない理屈人間。絵を描き始めた頃に神絵師への劣等感から、絵は才能ではなく理屈で描くものだということを証明しようと閃いた。以後、誰でも描ける方法論を開発して絵が描けることの優位性を滅すべく研究に勤しむ。独自開発の手法は「透視図法解剖図」「対角線分割法」「お絵描きのメカニズム」など。作曲方面も研究中。

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