お絵描きホーホー論

理屈で絵が描ける事を証明する

人物画のアタリ線の研究に時間を費やす意義について考えた事

絵を練習する様々な方法

今取り組んでいる課題は「模写するときの人物画のアタリ線の方法論を考える」ことですが、本当はそれが必要なのかどうかすら分かっていません。自分としても実際のところ、アタリ線に拘らなくても、少しずつ形を整えながら描いていく方法で人物画は描けています。そうするとアタリ線の方法論なんて考える意義を見失って不安に思うわけです。

ところが聞いた話では、プロの画家もイラストレーターもデザイナーも漫画家もアニメーターも、みんな模写練習は続けている、もしくは若いときに死ぬ程繰り返したというではありませんか。これの意味するところは、創造性溢れる作品を描き続けている作家は、模写練習から何かしらの基礎を得ているということです。まさかそれ程の作家が何も考えずに模写していたとは思えません。確かに必死に数をこなせば、頭では理解できていなくても獲得すべきものはおのずと獲得できると思います。逆に言えば、必死に数をこなして答えに出会うのを待つだけでなく、答えの場所を予測してその方向に歩いていくという近道もできるということです。最先端で活躍する作家は、運もいいと思いますが、常に新しい答えを探して挑戦し続けている人だと思います。

と、言う感じにポジティブシンキングをたしなんでいるうちに、アタリ線の方法論を考えることもやる価値はあるだろうと思えてきました。いずれにせよアタリ線など初歩の初歩なので、早く自分なりの方法論を確立して次の段階に進むことも正しい判断だと思います。ですが自分としましては、今は個性云々はどうでもよくて、作業的に絵を描く手段が欲しいのです。作業的という言い方は良く聞こえないかも知れませんが、つまりは確実性が高いということです。自分の創造性に懸けて大作が生まれる可能性を夢見るより、時間の無駄を省いてより多くの経験を着実に積む方に興味があります。

模写でアタリ線を練習するということ

とは言うものの、みんな本当は人物画を上手く描けるアタリ線の描き方を知りたいと思うはずです。既に多くの手法が解説されていますが、大体が正面図のものに限ります。でもみんなが知りたがっているのは、実は人体にパースがかかった状態の描き方だと思います。正面図のデッサンが多いのは、人物が美しく見える絵画的な構図だからなのか、昔の映画のカメラワークのような制限があるのか分かりませんが…。もしも大げさなアングルの人体を描くときには、結局のところ解剖学を応用することになります。

こう考えると、アタリ線ってのは描くものじゃなくて頭の中で考えるに止めておくものと思えて来ます。仮に描くとしたら頭でイメージする過程を保存するために薄く描くという具合です。すると、アタリ線を「描く」方法に捕われてはダメで、描くためのアタリ線の「考え方」を見るべきに思います。つまり「こことここを線で結んで」とか「この手順で描いて」という作図するように丁寧に描くような静的な解釈方法はお門違いってことになります。もっとこう…躍動感を閉じ込めるような目的で描くのがアタリ線かもしれません。基準の背骨ラインを描いたら、そこから拡散するエネルギーを体内に押さえ込もうとするように輪郭を閉じたり、勢い良くどこかに飛んでいくエネルギーの軌道をグニャっと誘導するような曲線を描いて、自分が定めた範囲内でエネルギーの流れを踊らせるのがアタリ線というものではないでしょうか。これは非常に動的な解釈になります。動的な物事に理論があるのかどうか、やはり不安に思うところは拭いきれませんね。

まとめると、模写するときのアタリ線はバランスを整える「技法」として駆使するべきです。一方、イメージスケッチのときのアタリ線は、暴れだすイマジネーションを押さえ込んで凝縮するために、模写のときに使っていたアタリ線の技法を応用して描くのではないでしょうか。分かりやすく言うと、模写のときのアタリ線は素振りです。素振りのフォームが崩れていたら随時直していき、同時にあらゆる場面を想定して対策を考えます。一方のイメージスケッチはバッターボックスで興奮している状態です。その興奮(イマジネーション?)を日頃から整えて体得していた素振りフォームで制御し、より理想に近いフォームでバットを振り抜くのです。当然素振りのフォームには理論があります。アタリ線にも理論があるとするなら、早急に見つけ出したいものです。

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