お絵描きホーホー論

理屈で絵が描ける事を証明する

人体デッサン理論化計画・序 〜シルエットで捉える描き方の意味考える〜

理屈で絵が上達することを証明するためには人体デッサンの理論化は避けて通れません。しかし人体デッサンは生半可な勉強では理論化はおろか、習得すらできません。これまでも『お絵描きホーホー論』では人体デッサンの理論化に挑戦してきましたが、どの考察も失速して自然消滅してしまいました。ところが、最近になって新しい考え方を発見し、考察材料がたんまりと手に入りました。これを機に改めて人体デッサンの勉強を再開しようと思います。

お絵描きホーホー論の現時点での人体デッサン理論

以前人体デッサンについて書いた安定して人体デッサンするためのアタリ線の習慣化の記事では、人体デッサンの出だしを安定させるにはアタリ線を使いこなすことだと太鼓判を押していました。そして人体デッサンを安定させるアタリ線の描き方の記事では、アタリ線の様々な種類と使い方を調べ上げました。勢いは止まらず右脳・左脳で使い分ける人体デッサンのアタリ線の描き方の記事でアタリ線を使ってデッサンするときの人間の脳の動きを語るところまで行き着きました。そして歩みは止まりました。そこから先に進む見解が見当たらなかったからです。進もうと思えば進めましたが、そうするには調べたアタリ線をミッチリ使い倒して丁寧に根気よく描くことが必要でした。それはあまり面白いお絵描きではありません。それに、アタリ線を使うデッサンはポーズの修正という意味では有効に作用しましたが、模写するときにはちょっとばかり都合の悪いことがありました。アタリ線には躍動感や寸法などの明確な意味が含まれています。だから、ヌードモデルを模写しようとしたら矛盾のない人体は描けるかもしれませんが、そっくりそのまま描き写すと多少誤差が出てしまいます。

そうしてしばらく人体デッサンについては放置気味になるわけですが、今度はうってかわってアタリ線を使わないデッサンを提唱し始めます。それがアタリ線を描かないデッサンの記事です。アタリ線を使うときのエネルギー消費は実用的でないと考えて、適当にササッとデッサンする道を模索しようということです。このときは人体を人体と考えずに、形そのものの印象を反射的に描き写すことが重要だと考えていました。しかし、そうして描き写した人体の形はフニャフニャで、とても模写したとは言えません。ここからさらに精度を高めるためにはどうすればいいか。そのためには、このときの記事で閃いた「シルエットで捉える」という新たな考え方を煮詰めなくてはいけません。

ではまず、シルエットってなんでしょう? シルエットで捉えるというからには、シルエットを定義しないと、どこに向かえばいいのか決められません。ここで右脳・左脳で使い分ける人体デッサンのアタリ線の描き方の記事で発見した「点・線・面」の考え方です(下表参照)。シルエットとは輪郭線で囲まれた範囲のことです。つまりそれは「面」です。面は必ず頂点、辺、弧によって構成されており、寸法や比率や面積が存在します。面は点や線に比べて情報が多いです。情報は概念を結びつけます。あ、なんか胡散臭い言い回しが多くなってたので止めて、シンプルに話をまとめます…。

各モードと各アタリ線の関係

構成要素 Lモード Rモード 目的
間接位置
顔十字ライン(仮面)
後頭骨ライン
基準点や、ある面の方向など、位置を決める要素を表す。
リズム線 背骨ライン
コントラポスト
鎖骨ライン
ギザギザ法
エネルギーの流れの意識を方向付ける。ペンを動かす方向に一貫性を与える。
逆三角形
構成
三分割法
アウトライン
ラフ
輪郭で囲んだ領域全体のバランスを見る。
目的 描いた絵の悪い部分を理屈的に探して修正する。必要なときにLモードに随時切り替える。意図的に誇張するときなどもLモード。 見たまま、イメージしたままに線を描く。基本的に描くときはRモード。善し悪しの判断は出来ない。 -

つまり、シルエットで捉えるデッサンには、始まりから終わりまで情報がしっかり詰まっているということです。人体デッサンの描き始めのすぐ隣にある次の情報を追いかけ、その連鎖で人体デッサンの完成まで辿ることが可能かもしれないということです。一方、アタリ線で捉えるデッサンは、それぞれのアタリ線が個別に寄せ集まっているだけです。それぞれのアタリ線をつなぎ止めるものがありません。背骨ラインを描いたら体のひねりの基準となり、コントラポストを描いたら体の傾きの基準となります。しかし、それら2つのアタリ線をどのようにつなぎ合わせればいいのでしょうか。背骨ラインとコントラポストは立体的な位置関係では全く接触しません。その隙間は感覚で描くのでしょうか。それでは人体デッサンを安定させる方法論になりません。

以前の記事でもさりげなく書いていましたが、アタリ線というのはデッサンを安定させる道具としても使えますが、本来は完成図を修正するときにこそ使うものなのです。初めからアタリ線で描いていく人体デッサンは、実は模写には向いていないということになります。だからこそシルエットで捉えるデッサンです!

徹底的にシルエットで捉えるデッサン方法

ポーズマニアックスのネガティブスペースは、人体のディテールを無視して輪郭線のみを捉えて模写する練習方法でした。果たしてその練習の意味をはっきりと認識している人はどれくらいいるでしょうか。…今の文章を読み直してみてください。適当なこと言いました、すでに間違っていましたすみません。ちゃんと本家の考えを見ていきましょう。ポーズマニアックスのネガティブスペースのページの解説には「人の外側の輪郭線を描くのではなく、枠の中にある穴の縁を描くつもりで、できるかぎりゆっくり正確に輪郭線を模写してみてください」とあります。「人体の輪郭線」と解釈している時点ですでに先入観に捕われているからです。これから考えていくシルエットで捉えるデッサン方法において、人体を人体と見なしてはいけません。もっと機械的にただの「形」を見るようにします。同じくポーズマニアックスの解説で、「人体であるという言語レベルの認識を破棄することで、ありのままの形状を認知することができる」ということです。

ポーズマニアックスのネガティブスペース

出典 POSEMANIACS

もう少しシルエットというものを明確に定義していきましょう。ポーズマニアックスのネガティブスペースではシルエットというものを「枠の中にある穴の縁」と表現しています。では、シルエットとは人体という概念を除去した輪郭線のこと、で良いのでしょうか。これではシルエットとは「線」であるということになります。そうでしょうか。ネガティブスペースの意義は人体を線ではなく、もっと漠然とした形で捉えることなのではないでしょうか。まあ、解釈の仕方が間違っているだけかも知れないので深く考えるのはやめて、もっと他の人の考え方で視野を広げてみましょう。

ルーミス先生は『やさしい人物画』の80ページで人物モデルをデッサンするときの、対象の寸法の測り方を解説しています。そこではポーズの最も外側に位置する枠線を描いたり、中心線を描いたり、それらの基準線の中間を取って分割したりする描き方を推奨しています。その中でも非常に柔軟性に富む手法が、一直線上に並んだ重要な点、既知の点を通る線上に他の点の位置を定める、という2つの考え方です(下図ハイライト部参照)。

『やさしい人物画』の模写法

出典 『やさしい人物画』

ルーミス先生の考え方は、ポーズマニアックスの考え方を拡張してくれます。シルエットとは枠の中にある空白と対象物の境界線であるという考え方。そして、対象物のある部分とある部分の相対的な位置関係で寸法を測るという考え方。2つの異なる考え方は、異なっているように見えて実は同じ方向性を持っています。つまりシルエットで捉えるということは、枠の中の空白と対象物の境界線を大まかに捉え、さらに精度を上げていくために対象物の部分同士の相対的な位置を測りながらデッサンすることです。2つの考え方は、ただ順序が違っていたというだけだったのです。

シルエットで捉えるということは、第一に、最も単純で最も外側にある対象物の輪郭線を形で捉えることによって、画面内での対象物の位置を決め、サイズを決め、大まかな形状を決める。第二に、対象物の部分同士の相対的な位置を捉え、対象物の輪郭線の角度の修正や、寸法の比率の修正を行います。このように、シルエットで捉えるデッサンには、線の勢いとか、フィーリングで描く線とか、美しいプロポーションとか、そういうものは一切ありません。ではお絵描きホーホー論でのシルエットというものを定義します。シルエットとは、「点・線」の組み合わせによって作られる面の「位置・寸法・面積」のことである。

森羅万象はマクロとミクロの間に存在する

ここまでシルエットについて考察してきましたが、その順を追うとどうやら大まかな形状という全体から、パーツの位置という詳細部に向かってデッサンしていくようです。さらに完成に近づくにつれてディテールの線であったり、線の重なりなどというように、線の勢いとか、フィーリングとか、美しさが必要になってきます。そうして人体デッサンは一つの流れとして考えることができます。この手順を理論化するために「マクロからミクロに収束する」という考え方を導入しようと思います。

マクロとミクロに分類する考え方は様々な分野で使われています。特に技術習得という理論化が難しい分野では重宝するようです。例えば、『お絵描きホーホー論』では絵を描くといういわゆる芸術分野の理論化を目指していますが、以前発見した『音楽理論のSONIQA(現在閉鎖中)』というサイトでは作曲という芸術分野を理論化しようとしているようです。そして経済でもビジネスでも、はたまた本の目次までもが全てマクロとミクロの間の情報整理によって成り立っています。もっと言えば、ヒトは何故死ぬのかという問いに対しても、マクロとミクロの間にある情報を繋ぎ合わせれば結論が出せます。世界に存在するあらゆる事象はマクロとミクロの間にある小さな要素の連結によって成り立っているのです。

人体デッサンも例外ではありません。先ほども言いましたが、シルエットで捉えるデッサン方法にはマクロからミクロに至るまで情報がギッチリ詰まっています。人体デッサンを理論化したければ、それらの情報を繋ぎ合わせれがいいのです。これからはこの方針で人体デッサンを研究していこうと思います。

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